Jesus said
『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』
『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』
2015年10月1日(木)
ディボーション聖句
ヨハネの福音書 4:27~29
27このとき、弟子たちが帰って来て、イエスが女の人と話しておられるのを不思議に思った。しかし、だれも、「何を求めておられるのですか」とも、「なぜ彼女と話しておられるのですか」とも言わなかった。
28女は、自分の水がめを置いて町へ行き、人々に言った。
29「来て、見てください。私のしたこと全部を私に言った人がいるのです。この方がキリストなのでしょう。」
[聖句メッセージ]
昨日の続きです。
・マタイの福音書10:5~6
『イエスは、この十二人を遣わし、そのとき彼らにこう命じられた。「異邦人の道に行ってはいけません。サマリヤ人の町に入ってはいけません。神の国の失われた羊のところに行きなさい。」』
27節 (27このとき、弟子たちが帰って来て、イエスが女の人と話しておられるのを不思議に思った。しかし、だれも、「何を求めておられるのですか」とも、「なぜ彼女と話しておられるのですか」とも言わなかった。)
このようにJesusは...以前から、永遠の人生を手に入れた人々に対して、独自の宗教の宗派を作っていた、不信仰なサマリヤ人たちの町に行かない方がいいと、教え勧めていました。
ですからこの日、Jesusがサマリヤ人の女性に救いのみことばを語っている姿を見た弟子たちは、それを不思議に思ったのです。
しかし誰も、Jesusが矛盾しているとは疑わず、つぶやく者さえもいませんでした。
・マタイの福音書22:37~38
『「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」』
・ヨハネの福音書6:48
『イエスは彼らに答えて言われた。「互いにつぶやくのはやめなさい。」』
使徒たちは、Jesusを深く信頼尽くしており、真心からJesusを愛していたので、きっとサマリヤ人の女性とのことでも、深い神のご計画があるに違いないと、Jesusがしていることを何も疑わなかったのです。
あなたは...JesusがBibleのみことばとは、すべてが成就する永遠なる真理と預言であると、約束してくれたにも関わらず...時折、疑心暗鬼に陥ったり、自分のマイナス的要素ばかりを見つけて、神様のせいにしたり、不平不満をつぶやくことはありませんか?
・マタイの福音書7:11
『あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父なる神様が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。』
・ローマ信徒への手紙10:11
『聖書はこう言っています。「主イエスに信頼する者は、失望させられることがない。」』
使徒たちは、Bible&Jesusが、絶対に自分たちを裏切らないことを堅く信じ、また知っていたのです。
この絶対的な信頼こそが、神の大いなる祝福を引き出せる本物の信仰です。胸に書き記して下さい。
・ルカの福音書9:53~55
『イエスは御顔をエルサレムに向けて進んでおられたので、サマリヤ人はイエスを受け入れなかった。弟子のヤコブとヨハネが、これを見て言った。「主よ。私たちが天から火を呼び下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか。」しかし、イエスは振り向いて、彼らを戒められた。』
・マタイの福音書7:6
Jesusは言われた。『聖なるものを犬に与えてはいけません。また豚の前に、真珠を投げてはなりません。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたを引き裂くでしょうから。』
勿論Jesusは、決して、不信仰で、霊的無知なサマリヤ人たちを差別していたのではありません。
しかし、当時のサマリヤ人たちは訳の分からない新興宗教などを信じており、見えない敵の支配と呪いを受けている人々が多数いたので、いくら値打ちのある真理(Bible)を伝えたとしても、それを理解するどころか、神のみことばをまるで豚のように踏みにじる状態にあったので、あまり深入りし過ぎないようにと、注意していたのです。
そのみことばのおかげで、使徒と神の子たちは必要以上な敵の迫害と攻撃から免れたのです。
あなたの周囲には...いくらJesusの救いやみことばを教え伝えても、丸っ切り反応のない人や逆ギレするような人はいませんか?
Bibleは...そういう、この世の罪悪と貪欲に取り憑かれて霊的に眠っている人たちは、人生と死の行く先の定まらない哀れな人なので、しばらく、放って置くしかないと教え説くのです。
人に人は救えません。何とかしてあげようと深入りし過ぎて、人生と死後に共倒れしたり、神の恵みを失わないように注意する距離感とクールさも必要なのです。
・使徒の働き16:31
『主イエスを信じなさい。そうすればあなたの家族と友人も救われます。』
あなたには、本当に救いたい大切な人、一緒に永遠なる天国に連れて行きたい仲間がいますか?
もし、あなたが本当に大切な仲間たちを救いたいのなら、JesusのLoveと救いに期待して祈りつつ、みことばを糧とした付き合い方や適度な距離感を保つことです。
ただの仲良しこよし的な付き合いや恋愛関係程度では、神のパワーやJesusLoveを引き出して、仲間たちを救い出すことなど、出来ないからです。
あなたの大切なご家族と仲間たちに現れる、JesusLoveと救いに期待します。
・使徒の働き20:8
『彼らが反抗して暴言を吐いたので、使徒パウロは着物を振り払って、「あなたがたの血は、あなたがたの頭上にふりかかれ。私には責任がない。」と言った。』
27節,私たちの責任と使命は、隣人の救いを祈りつつ、神の救いとみことばを宣べ伝えるだけであり、それから先は、神の選択と当人の人生の責任に寄るのです。
ですから必要以上に、相手を思い通りにコントロールしようとせず、Jesus信仰を押し付けようとしないことも大切です。
・第一コリントの手紙12:3
『聖霊の選びによるのでなければ、だれも、「イエスは主です」と言うことはできません。』
このように聖書は、人の魂を救い導けるのは神のみであり、私たち人間には、神のタイミングや人を救う選択まで、決める権利やパワーはないと教え説くからなのです。
人間が神のみことば以上に出しゃばり過ぎては、仲間は救われませんし、神が良しと認める人で、相手が霊の目を醒まさなければ、人は救われないのです。肝に銘じて下さい。
28~29節 (28女は、自分の水がめを置いて町へ行き、人々に言った。29「来て、見てください。私のしたこと全部を私に言った人がいるのです。この方がキリストなのでしょう。」)
そして、Jesusのみことばの奇跡を体験して、子どものように興奮していたサマリヤ人の女性は、周囲から村八分のような状態で、隠れるように暮らしていたのですが、誰をも恐れずに、町中にJesusの証しを宣べ伝えました。
彼女は、Jesusのみことばのおかげで、人間関係を恐れなくなり、回復していったのです。
Bibleのみことばに生きる者たちの心霊は、絶えず癒されていき、Jesusのように聖化、強靭化されていくのです。
・エレミヤ書1:7~8
『すると、主は私に仰せられた。「まだ若い、早いと言うな。わたしがあなたを遣わすどんな所へでも行き、わたしがあなたに命じるすべてのみことばを語れ。彼らの顔を恐れるな。わたしはあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。――主の御告げ――」』
あなたが、このサマリヤ人の女性のように、益々、Jesusのみことばを真心から信じて受け入れられるようになり、誰をも、何をも恐れなくなるほどに聖霊に満たされていき、神の奇跡的な癒し、回復、祝福を受けられる人となれることを信じます。AMEN
(祈り)
主なる神様、皆の霊の目を開いて、サマリヤ人の女性のように、子どものように真心からJesusのみことばを受け入れさせ、そして使徒たちのようにJesusのみことばを絶対的に信頼出来るようにしてあげて下さい。
そうすれば皆の人生に、神の奇跡的な癒し、回復、祝福が現れ出すからです!主イエスのお名前で、期待して祈ります。AMEN!!!