Bible said 『幸いなことよ。神の知恵を見いだす人は』 『主の教えを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ人は、何をしても栄える』 『心を尽くして主に拠り頼め. 自分の悟りに頼るな』
2015年9月23日(水) ディボーション聖句
ヨハネの福音書3:1〜2
1 さて、パリサイ人の中にニコデモという人がいた。ユダヤ人の指導者であった。 2 この人が、夜、イエスのもとに来て言った。「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行うことができません。」
[聖句メッセージ] 本日からヨハネの福音書は3章に入ります。
1節 (1 さて、パリサイ人の中にニコデモという人がいた。ユダヤ人の指導者であった。)
『ニコデモ』とは、Jesusに嫉妬していたパリサイ派(ユダヤ教の主流)に属していた、最高法院の国会議員でありましたが、彼はJesusに非常に敬意を払っておりました。 ニコデモは、Jesusを敵対視していたパリサイ派の立場でありながら、夜中にJesusのもとをひそかに訪れて、神のみことばを聞きに現れたのです。 このようにBibleの真理とは、危険を承知で聞きに来るほどの価値に値する、神の知恵なのです。
・マタイの福音書10:33~36 主イエスは言われた。『人前でわたしを信じられないと言うような者なら、わたしも天におられるわたしの父なる神の前で、そんな者は知らないと言います。 わたしが来たのは、地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすためだけに来たのではなく、最初は、地に剣をもたらすためにも来たのです。 なぜなら、わたしは人をその父に、娘をその母に、嫁をそのしゅうとめに、そして、あなたの友人たちを 逆らわせるために来たからです。 さらに、最初のうちは、家族の者たちがその人の敵ともなります。』
1~2節 (1 さて、パリサイ人の中にニコデモという人がいた。ユダヤ人の指導者であった。2 この人が、夜、イエスのもとに来て言った。「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行うことができません。」)
このようにBibleは、Jesusに救われて「神の子」とされ、霊の目が開かれていくと、神を誤解している家族と友人たちから勘違いされて反対されたり、見えない敵の攻撃を受けて迫害されることもあると、教え説きます。 ニコデモもJesus信仰を持てば、地位や職を追われる危険性があったのですが、Jesusのみことばを慕い求めに来たのです。 そして後に、彼はユダヤ人指導者たちが、無実なJesusを非難する場でも「我々の国の律法では、罪の証拠が無ければ裁けないはずではないのか。Jesusは、真の神の人だ!」と、Jesusを弁護する、命がけの証しもした人です。 また彼は、Jesusの十字架の処刑後は、アリマタヤのヨセフらと共に、Jesusの遺体を引き取り、最上級の埋葬をしたのです。
・ヘブル人への手紙10:38~39 神は言われた。『「わたしの義人は信仰によって生きる。もし、福音を宣べ伝えることを 恐れて退くなら、わたしのこころは喜ばない。」 私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じて永遠のいのちを保つ者です。』
2節,あなたは、周囲に誤解されることを考え過ぎてしまって、Jesus信仰や天国の行き方を友人たちに宣べ伝えることをビビったり、後回しにするようなことはありませんか? もしもあるのなら、その理由は何ですか? 今やBible信仰は世界人口の半数を超えており、世界的真理とも言われているので、福音宣教を躊躇しなくともいいはずです。 また、Jesusによるクリスマスや結婚式は、今や日本の常識でもあるので、意識過剰になることもないのです。 見えない敵の意識過剰の束縛から、自由に証しして生きて下さい。 そういう人に、神は絶えず味方するからなのです。 またBibleは、隣人にJesus信仰を 証しすることを後回しにしたり、それを恐れる人には、神の奇跡や大きな報いなどあり得いとも教えており、みじめなクリスチャンライフや寂しい死の時を迎えないためにも、思い切って、出来る限り多くの人々に伝えてみるほうが得策なのです。
今日の聖句のニコデモも、職を失うどころか、約二千年経った今でも、世界中から聖人化または、英雄視されているのです。
あなたを通して、多くの人々が天国行きの内定を受けられることを期待します。AMEN
(祈り) 主なる神様、皆を聖霊に満たし、何をも恐れず、また意識過剰にならずに、自由にJesus信仰や福音宣教を宣べ伝えられるようにしてあげて下さい。 そうすれば皆に、神の奇跡や願いの応答が与えられたり、聖霊の喜びに満ちて、何事も動じずに、悔いなき人生を築いていけるからです!主イエスのお名前で、期待して祈ります。AMEN!!!