Jesus said
『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』
『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』
2015年8月27日(木)
ディボーション聖句
ルカの福音書22:21~23
21しかし、見なさい。わたしを裏切る者の手が、わたしとともに食卓にあります。
22人の子は、定められたとおりに去って行きます。しかし、人の子イエスを裏切るような人間はわざわいです。」
23そこで弟子たちは、そんなことをしようとしている者は、いったいこの中のだれなのかと、互いに議論をし始めた。
[聖句メッセージ]
昨日の続きです。
・エレミヤ書3:11
『主はまた、私に仰せられた。「背信の女イスラエルは、裏切るユダよりも正しかった。」』
・ゼカリヤ書11:13~14
『主は私に仰せられた。「彼らによってわたしが値積もりされた尊い価を、陶器師に投げ与えよ。」そこで、その人は銀貨三十を取り、それを主の宮の陶器師に投げ与えた。そして、結合という私のもう一本の杖を折った。これはユダとイスラエルとの間の兄弟関係を破るためであった。』
・マタイの福音書6:24
『だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。』
21~23節 (21しかし、見なさい。わたしを裏切る者の手が、わたしとともに食卓にあります。22人の子は、定められたとおりに去って行きます。しかし、人の子イエスを裏切るような人間はわざわいです。」23そこで弟子たちは、そんなことをしようとしている者は、いったいこの中のだれなのかと、互いに議論をし始めた。)
このようにBible&Jesusは...12使徒の1人であるユダがこの世の経済欲への魅力に取り憑かれてしまい、すべての面倒を見てくれたJesusへの愛や、JesusFamilyとの友愛をわずか銀貨30枚(現在の110万円程度)で裏切ることを預言していました。
後に、使徒ユダは、Jesusが十字架上で処刑された同じ日に、自分のしたことに後悔したのですが、結局、悪霊に捕らわれ続けて、自殺してしまうのです。
富はその使い道によっては、人を幸いにするための一つの手段になり得ますが、富そのものには人を幸いにする力などなく、人を虜にして、狂わす恐れもあるのです。肝に銘じて下さい。
またBibleは、大切な人を悲しませたり、あなたを救ってくれる神様や、祈ってくれる仲間たちの愛を裏切ってまで、手に入れようとする必要以上の経済と物質への執着心は、使徒ユダのように人生を狂わせると、忠告しています。
あなたの心の状態は如何ですか?
またBibleは、人は皆、生きるための衣食住があって、父なる神と誰かを愛そうとする清い心を大切に生きている人は、幸いだと、教え説いています。胸に書き記して下さい。
・第一テモテの手紙6:6~10
『実は、満ち足りる心を伴う敬虔な信仰こそ、大きな利益を受ける道です。私たちは何一つこの世に持って生まれでなかったし、また何一つ持って死ぬこともできません。
だから、衣食があれば、それで満足すべきなのです。金持ちになりたがる人たちは、人生の誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの貧欲とに陥ります。なぜなら金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。
ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、人生で、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。』
このようにBibleは...Jesusをお金で売ってしまった使徒ユダは、敬虔な信仰生活を送っていた時は、大金持ちでなくとも、大小の神の恵みと純粋なJesusFamilyの友愛を感じ取れていたので、いつもHolySpiritと幸福感に満ちており、多くの人々からも尊敬されていたと、教え説きます。
実際、使徒ユダは、Jesusを裏切って得たお金を手にすると、神信仰と多くの仲間たちからの信頼も失って、結局後悔して、自殺してしまうのです。
聖書は、富を愛して頼るような人は、たとえ生活の余裕が得られたとしても、そういう人の欲望にはキリはなく、そういう経済活動重視な人に永遠の幸福感など得られないと、教え説きます。
あなたのJesusは人を見捨てず、期待を裏切りませんが、時に、富や物質は人を惑わせ、狂わせるとも教え説くのです。肝に銘じて下さい。
・ローマ信徒への手紙10:11
『聖書はこう言っています。「主イエスに信頼する者は、失望させられることがない。」』
・ヤコブの手紙4:4
『貞操のない人たち。世を愛することは神に敵することであることがわからないのですか。世の友となりたいと思ったら、その人は自分を神の敵としているのです。』
そして聖書は、JesusLoveとJesusSpiritに希望を置く者には、永遠の幸福感が与えられると、教え説くのです。
なぜなら人は皆、肉体の死後、お金や大切な宝物でさえも、全てを手放して、神の御元に行かされて、何を思考して、どのように生きてきたのか?
神の審判を受けなくてはならないからなのです。
・マタイの福音書6:31,33~34
『そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと生活のことで心配するのはやめなさい。神の国と神の義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、あなたの必要はすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用なのです。』
あなたは、経済活動や物質に執着し過ぎてしまうことはありませんか?
Bibleは、富や物欲をJesusに祈り任せられるくらいの気持ちになれる人が、ちょうどいいと教えているのです。
あなたの心霊が、バランスの整った経済欲と物欲を保てるように祈ります。AMEN
(祈り)
主なる神様、皆の霊の目を開かせて、個々の経済活動、富欲や物欲よりも、純粋な神愛と隣人愛を大切に生きられるようにしてあげて下さい。
そうすれば皆に、永遠なる自由感と幸福感が与えられるからです!主イエスのお名前で、期待して祈ります。AMEN!!!