GOD said
『あなたは癒された』
『愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい』
『神は愛です』
『主のしもべは栄える』
2015年8月23日(日)
ディボーション聖句
ルカの福音書22:1~2
1さて、過越の祭りといわれる、種なしパンの祝いが近づいていた。
2祭司長、律法学者たちは、イエスを殺すための良い方法を捜していた。というのは、彼らは民衆を恐れていたからである。
[聖句メッセージ]
本日からルカの福音書は22章です。
1節『過越の祭り』とは、ユダヤ教の祭日の一つ。英語では'Passover'。
尚、祭りの由来は...かつてユダヤ人は、長い期間(神からの夢と預言を成就させた男・ヨセフの時代頃から十戒のモーセの時代)、中東の強国エジプトの奴隷として虐げられるようになっていました。
しかし父なる神様は、神に選ばれしユダヤ人たちを哀れみ、当時80歳になっていたモーセを神の預言者、指導者に任命して、イスラエル人たちに奇跡的な御業を起こして助け、エジプトの支配から独立させて、新たな約束の地へと向かわせたのです。
しかし、エジプトの王ファラオがこれを妨害しようとしたので、父なる神様は、敵国エジプトに対して10もの災いを与えたのでした。
その10番目の災いが...エジプト人と、その家畜に至るまでの「すべての初子を病死させる」という災いであったのです。
しかしその時、神は、戸口に子羊の血の印をつけたユダヤ人の家だけには、災いを臨ませないと、モーセに預言させたました。
このように、Jesus&Bibleのみことばに人生を賭けて従う人に、敵や災いなどあり得ないのです。
そして、この災いの過越こそが、ユダヤ人たちの『過越の祭り』の起源となったのです。
つまり、過越の祭りとは奴隷状態にあった、ユダヤ民族のエジプト脱出を記念する祭りであり、神が敵対者・エジプト中の初子を殺したとき,仔羊の血を門口に塗ったユダヤ人(信仰者)の家だけは、災いを過ぎ越させたという故に、過越の祭りと名付けられたのです。
・使徒の働き12:11
『そのとき、使徒ペテロは言った。「今、確かにわかった。主は御使いを遣わして、敵・ヘロデの手から、また、すべての敵対者たちが待ち構えていたすべての災いから、私たちを救い出してくださったのだ。」』
1節 (1さて、過越の祭りといわれる、種なしパンの祝いが近づいていた。)
このようにBibleは...主イエスの十字架上の血潮の贖いを信じたあなたに、敵の災いは及ばなくなると約束してくれます。
Jesusを信じたあなたは、見えずとも、いつも、天の御使いたちから守られているので、Bibleを100%堅く信じ続けるのなら、やがて、苦難は人生の益となると教え説くのです。
主イエスの十字架を信じる者に、災いは訪れません。ただ、そう信じることが大切なのです。
・ヨハネの福音書7:7
主イエスは言われた。『この世は、わたしを憎んでいます。わたしが、世について、その行いが悪いことをあかしするからです。』
・ルカの福音書16:15
『イエスはパリサイ派の律法学者と政治家たちに言われた。
「あなたがたは、人の前で自分を正しいとする者です。しかし神は、あなたがたの心のすべてをご存じです。人間の間であがめられるものは、神の前で憎まれ、きらわれるのです。」』
・ヨハネの福音書3:20
『悪いことをする者は皆、神の光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、神の光のほうには来ません。』
・ヤコブの手紙5:16
『ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。』
2節 (2祭司長、律法学者たちは、イエスを殺すための良い方法を捜していた。というのは、彼らは民衆を恐れていたからである。)
このようにBibleは、自分は正しく、常に潔白だと自己宣伝する人々ほど、多くの罪と過ちを隠し持っている、愚かな人々であると教え説きます。
また聖書は、自分には主イエスの十字架の贖いが必要だと、自らの足りなさと神の存在を認められる人ほど、神が認める正しさと謙遜を持つ真の知者であり、神が認める義人だと教え説くのです。
人は皆、過ちを犯しやすく、誰にでも限界があるもの。格好つけ過ぎたり、自分をよく見せようとばかりせずに、己の弱さと足りなさも受け入れるべきなのです。
2節,しかし、当時のユダヤの政治家、宗教指導者、学者たちは、自らの足りなさと過ちや限界を認めるどころか、逆にJesusの正しい指摘に腹を立てるばかりで、Jesusを罠にかけて、殺そうと計画したのです。
・ローマ信徒への手紙12:10
『神に選ばれたあなたがたは、兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。』
2節,このようにBibleは、周囲の人を、自分よりも賢く、優っていると他者を誉めたり、認められる人ほど、賢く、大きな器だと教え説きます。
もし、あなたが神を味方につけたいのならば、必要以上の競争意識やこだわりとプライド意識を持ち過ぎず、時には、あえてバカになれることも重要なのです。
あなたの人間関係に現れる、他者を敬愛出来る謙遜な態度と、時にはバカになれる程の余裕と賢さに期待します。AMEN
(祈り)
主なる神様、皆を聖霊に満たし、必要以上の競争心、プライド意識から開放させて下さい。
そうすれば皆、もっと他者を敬愛できる謙遜さを手に入れられながら、主イエスのような大きな器ともなれるからです!主イエスのお名前で、期待して祈ります。AMEN!!!