GOD said
『あなたは癒された』
『愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい』
『神は愛です』
『主のしもべは栄える』
2015年7月26日(日)
ディボーション聖句
ルカの福音書16:19~31
19ある金持ちがいた。いつも紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。
20ところが、その門前にラザロという全身おできの貧しい人が寝ていて、
21金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた。犬もやって来ては、彼のおできをなめていた。
22さて、この貧しい人は死んで、御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。
23その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。
24彼は叫んで言った。『父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。』
25アブラハムは言った。『子よ。思い出してみなさい。おまえは生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。
26そればかりでなく、私たちとおまえたちの間には、大きな淵があります。ここからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、そこからこちらへ越えて来ることもできないのです。』
27彼は言った。『父よ。ではお願いです。ラザロを私の父の家に送ってください。
28私には兄弟が五人ありますが、彼らまでこんな苦しみの場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』
29しかしアブラハムは言った。『彼らには、モーセと預言者があります。その言うことを聞くべきです。』
30彼は言った。『いいえ、父アブラハム。もし、だれかが死んだ者の中から彼らのところに行ってやったら、彼らは悔い改めるに違いありません。』
31アブラハムは彼に言った。『もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、たといだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。』」
[聖句メッセージ]
本日でルカの福音書16章は終わりです。
19節,Jesusは『金持ち』を形式的なご利益宗教であった「パリサイ人」として、たとえており、『いつも紫の衣を着ていた人』は、当時のユダヤ国の絶対的な権威を誇っていた「大祭司」のことを指して、話したのです。
20節,Jesusがたとえ話に使った、この『ラザロ』とは、「神に助けられる人」という意味を持つ、身寄りと家がなかった貧困者の信仰者となります。
19~21節 (19ある金持ちがいた。いつも紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。20ところが、その門前にラザロという全身おできの貧しい人が寝ていて、21金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた。犬もやって来ては、彼のおできをなめていた。)
以下は、Jesusのたとえ話の内容です...
あるユダヤの街に、エリートのパリサイ派育ちの大祭司が大きな家に住んでいました。
その大祭司は、神の恵みを多く受けている裕福な信仰者であった為に、何不自由なく、いつも遊び暮らしていた人でした。
その大祭司の家の前に、身寄りと家のなかった浮浪者『ラザロ』が物乞いをしに来たのでした。このラザロという人は、全身がおできだらけのひどい皮膚病で、非常に貧しかった為に、犬以外、誰も近づかなかった人だったのです。
しかし、このラザロは、立派な神信仰を持っていたのです。
・第一テモテの手紙6:17~19
『この世で富んでいる人たちに命じなさい。高ぶらないように。また、たよりにならない富に望みを置かないように。
むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。また、人の徳と益を計り、良い行いに富み、惜しまずに施し、喜んで分け与えるように。
また、まことのいのちを得るために、未来に備えて良い基礎を自分自身のため、天に宝を築き上げるように。』
・ガラテヤの手紙6:9~10
『善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。ですから、私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行いましょう。』
22~23節 (22さて、この貧しい人は死んで、御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。23その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。)
しかし、お金持ちであったパリサイ人の大祭司は、このラザロに訳も聞かず、また、一食の食物を与えるどころか、逆に、二度と家のそばに近づかないようにと、冷たく追い返したのでした。
それからしばらくして、ラザロも、お金持ちも、肉体の死を迎えたのです。二人の死後の行く先は、どうなったのでしょうか?
・ローマ信徒への手紙2:6
『神は、ひとりひとりに、その人の行いに従って報いをお与えになります。』
・ヤコブの手紙2:17
『信仰も、もし行いがなかったなら、それだけでは、死んだものです』
・マタイの福音書25:45~46
『すると、主は彼らに答えて言います。
「まことに、おまえたちに告げます。おまえたちが、この世の最も小さい者たちのひとりにしなかったのは、わたしにしなかったことと同じなのです。」こうして、この人たちは永遠の刑罰に入り、隣人を愛した正しい人たちは永遠のいのちに入るのです。』
22~23節,そしてJesusは、たとえ話を続けられました。...貧しい信仰者のラザロは、この世界では信仰以外は、全くいい思いをできませんでした。
しかし、彼は肉体の死後、本物の信仰を持っていた為に、天国の最高な場所である、信仰の父・アブラハムのそばに住むことができたのです。
しかし、信仰を持っていたはずの金持ちのパリサイ人は、形ばかりの宗教だった為に、天国ではなく、ハデスという苦しい場所に行かされていたのです。
・ヘブル人への手紙9:27
『人間には、一度死ぬことと死後に、神のさばきを受けることが定まっている。』
24~28節 (24彼は叫んで言った。『父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。』25アブラハムは言った。『子よ。思い出してみなさい。おまえは生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。26そればかりでなく、私たちとおまえたちの間には、大きな淵があります。ここからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、そこからこちらへ越えて来ることもできないのです。』27彼は言った。『父よ。ではお願いです。ラザロを私の父の家に送ってください。28私には兄弟が五人ありますが、彼らまでこんな苦しみの場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』)
そして金持ちのパリサイ人は、苦しみのハデスから父なる神様に叫びました。
「なんで、ラザロが天国にいるのに、同じ信仰を持っていた私は、天国に入れなかったのですか。。。せめて、わたしの五人の家族には、天国に行けるように、預言者を遣わして、みことばを教えてあげて下さい。お願いします!」と話したのです。
このように、父なる神様はあなたの宗教ではなく、人の心を深く探られてジャッジされるのです。
しっかりと、Jesusの十字架の身代わりの死を握り締めて、みことばを手放さない信仰心が問われるのです。
・マタイの福音書7:21~23
Jesusは言った。
『わたしに向かって、「主よ、主よ」と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみことばを行う者が入るのです。その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。
「主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行ったではありませんか。」
しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。「わたしはあなたがたを全然知らない。みことばの不法をなす者ども。わたしから離れて行け。」』
・使徒の働き16:31
『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。』
・マルコの福音書16:16
Jesusは約束した。
『わたしを信じてバプテスマ(洗礼)を受ける者は、必ず救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。』
29~31節 (29しかしアブラハムは言った。『彼らには、モーセと預言者があります。その言うことを聞くべきです。』30彼は言った。『いいえ、父アブラハム。もし、だれかが死んだ者の中から彼らのところに行ってやったら、彼らは悔い改めるに違いありません。』31アブラハムは彼に言った。『もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、たといだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。』」)
このようにBibleは...もし、あなたがJesusを信じて祈れるのならば、このパリサイ人のように神愛と隣人愛をおろそかに生きてきたとしても、Jesusの十字架上の身代わりの死が弁護して下さると、約束してくれました。
Jesusを信じて、洗礼を受けられるのなら、天国への確信へと繋がると、約束してくれたのです。
あなたに与えられる、死をも恐れない程に、揺るがないBible&Jesus信仰力に期待します。AMEN
(祈り)
主なる神様、皆の霊の目を開いて、日々のBible&メッセージからJesusの十字架にずからせ続けて下さい。
そして皆が、できる限りの隣人愛を施せる者たちにして下さい。
そうすれば皆に、神の奇跡さえも起こせる、揺るがないJesus信仰力が宿っていくからです!主イエスのお名前で、期待して祈ります。AMEN!!!