• sgbc-devotion

ルカの福音書15:17~32

Bible said

『幸いなことよ。神の知恵を見いだす人は』

『主の教えを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ人は、何をしても栄える』

『心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りに頼るな』

2015年7月22日(水)

ディボーション聖句

ルカの福音書15:17~32

17しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。

18立って、父のところに行って、こう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。

19もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』

20こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。

21息子は言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』

22ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。

23そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。

24この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めた。

25ところで、兄息子は畑にいたが、帰って来て家に近づくと、音楽や踊りの音が聞こえて来た。

26それで、しもべのひとりを呼んで、これはいったい何事かと尋ねると、

27しもべは言った。『弟さんがお帰りになったのです。無事な姿をお迎えしたというので、お父さんが、肥えた子牛をほふらせなさったのです。』

28すると、兄はおこって、家に入ろうともしなかった。それで、父が出て来て、いろいろなだめてみた。

29しかし兄は父にこう言った。『ご覧なさい。長年の間、私はお父さんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しめと言って、子山羊一匹下さったことがありません。

30それなのに、遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして帰って来たこのあなたの息子のためには、肥えた子牛をほふらせなさったのですか。』

31父は彼に言った。『子よ。おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。

32だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』

[聖句メッセージ]

 本日で、ルカの福音書15章は終わりです。

 今日の聖句は、昨日の「放蕩息子」のたとえ話の後半になります。

 Jesusは、『ある人(父親)』を父なる神様とたとえており、また、ある人の息子(兄弟)の「弟(放蕩息子)」を自分勝手な罪深い人として、また「兄」の方を正しい義人としてたとえて、「放蕩息子」のたとえ話を語られました。

 まず、昨日の話から...

 ある裕福な人に、二人の息子がいました。しかし弟の方は、不信仰で遊び人の気質があり、彼は両親が健在なうちに、財産の分け前を請求したのです。

 そして父は、そのふざけた要求通り、愛する息子(弟)に財産を分け与えたのでした。

 するとその息子(弟)は、すぐにユダヤ国の都会へと旅立ち、そこで毎晩のように、酒、ギャンブル、セックス、ドラッグなどに明け暮れて、湯水のようにお金を使い果たしてしまったのです。

 そして、ちょうど弟(放蕩息子)が破産した頃、その国に大飢饉が起きてしまい、その弟(放蕩息子)は、当時のユダヤ人たちが一番汚れているとしていた、豚の世話の仕事をして生計を立てるしか、方法がなくなってしまったのです。

 彼はすべてを失い、豚の餌さえも食べたいと思う程、飢え苦しむ生活に落ち込んでしまったのです。

17節 (17しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。)

 全財産とその取り巻きであった仲間たちさえも失い、人生のどん底に陥った放蕩息子が、我に帰った時、彼は帰るべきところは父のところだと思い出して、帰途に着くことにしたのです。

・イザヤ書53:6

『私たち人間はみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分勝手な道に向かって行った。しかし、主なる神様は、私たちのすべての罪、咎を彼に負わせられた。』

 17節,このようにBibleは..人間は皆、この放蕩息子のように、父なる神様から与えられた人生の全ての恵みや愛を自分勝手に使い果たしたり、自分で自分を痛めつけるように人生をさまよいながら、ただ、死と滅びに向かうしかないでいると、教え説きます。

 Bibleのみことばと真理なくしては、人は皆、「人はなぜ生まれ、何を大切にして、どのように思考して生きるべきなのか...また人は、一体どこに行こうとしているのか。神とは愛とは、どういうものなのか。

 そして人は皆、死後、どうなるのかでさえ、分からずに生きるしかないと、教え説いているのです。

 あなたは、人生の意味・使命や愛の尊さと神の存在。また、死後の行き先をしっかりと掴めていますか?

 これらの真理を掴もうとしなくては、結局、人生はさまようばかりなのです。

・ヨハネの福音書14:6

『イエスは言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父なる神様のみもとに来ることはありません。」』

・伝道者の書12:13~14

『結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神のみことばを守れ。これが人間にとってすべてである。いつの日か神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべての人生のわざを裁かれるからだ。』

 Bibleのみことばから人生の意味、真理を探し出して、Jesusの十字架の身代わりの死と弁護を受け入れて、永遠の救いと天国人生を勝ち取ることです。

 Bibleを通してあなたに解き明かされる、神の国と人生の奥義と秘密に期待します。

18~24節 (18立って、父のところに行って、こう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。19もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』20こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。21息子は言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』22ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。23そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。24この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めた。)

 そしてBibleは...この放蕩息子のように、もし、あなたが自らの人生での自分勝手な罪悪、咎、過ちや足りなさを認められるのならば、Jesusの十字架上の死は、あなたを永遠に弁護するために、いつの日か、父なる神様のみもとに行けて、永遠に救われると約束してくれたのです。

 自らの不完全さを認めて、子どものようにJesusの十字架にすがれる人に、神の国の永遠なる祝宴が与えられるということなのです。胸に書き記して下さい。

26~30節 (26それで、しもべのひとりを呼んで、これはいったい何事かと尋ねると、27しもべは言った。『弟さんがお帰りになったのです。無事な姿をお迎えしたというので、お父さんが、肥えた子牛をほふらせなさったのです。』28すると、兄はおこって、家に入ろうともしなかった。それで、父が出て来て、いろいろなだめてみた。29しかし兄は父にこう言った。『ご覧なさい。長年の間、私はお父さんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しめと言って、子山羊一匹下さったことがありません。30それなのに、遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして帰って来たこのあなたの息子のためには、肥えた子牛をほふらせなさったのですか。』)

 しかし、それを見ていた親孝行で正しい兄は、弟を妬んでしまって、父親に不満をぶつけて、弟を受け入れられませんでした。

 真面目な兄には、不良の弟が味わってきた人生での必要以上な苦しみ、痛み、悲しみの意味と、神のゆるしの感動が理解できなかったのです。なぜなら兄は、幼い頃から宗教深くて、親孝行の働き者であり、いつも、多くの人々に仕えて来た立派な青年だったからでした。

・ヤコブの手紙3:16

『ねたみや敵対心のある人には、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な思いと行いがあるのです。しかし、神からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。』

 このようにBibleは、兄のように、弟を妬んでしまって、平和と憐れみの心を閉ざす人の心霊には、邪悪な霊が潜むことになると教え説きます。

 他人を妬み過ぎず、また裁かない、憐れみに満ちた精神が神の祝福と幸運を手に入れられる秘訣なのです。胸に書き記して下さい。

・ローマ信徒への手紙2:11

『神にはえこひいきなどはないのです。』

31~32節 (31父は彼に言った。『子よ。おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。32だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』)

 Bibleは、いつも正しい信仰深い人も、今さっきまで、自分勝手で極悪非道な人であったとしても、自らの罪悪や足りなさを認められる人は、誰でも神にゆるされて、同じ永遠の命と天国行きを受けられると約束しています。

 大切なのは、あなたの過去がどうであったかではなく、今のあなたの心と行いがどうかによるのです。胸に書き記して下さい。

 あなたに与えられる、感動的な神のゆるしと助けに期待します。AMEN

(祈り)

 主なる神様、皆の霊の目を開き、放蕩息子のように、自分勝手な人生や小さな罪悪、過ちでさえも、悔い改められる心をお与えください。

 それさえできれば皆、Jesusの十字架の愛と救いの感動を手に入れられるからです!主イエスのお名前で、期待して祈ります。AMEN!!!

0回の閲覧0件のコメント

最新記事

すべて表示

ヨハネの福音書7:14~18

2020年2月23日(日) ディボーション聖句 ヨハネの福音書7:14~18 14 しかし、祭りもすでに中ごろになったとき、イエスは宮に上って教え始められた。 15 ユダヤ人たちは驚いて言った。「この人は正規に学んだことがないのに、どうして学問があるのか。」 16 そこでイエスは彼らに答えて言われた。「わたしの教えは、わたしのものではなく、わたしを遣わした方のものです。 17 だれでも神

ヨハネの福音書7:10~13

2020年2月22日(土) ディボーション聖句  ヨハネの福音書7:10~13 10 しかし、兄弟たちが仮庵の祭りに上ったとき、イエスご自身も、公にではなく、いわば内密に上って行かれた。 11 ユダヤ人たちは、祭りのとき、「あの方はどこにおられるのか」と言って、イエスを捜していた。 12 そして群衆の間には、イエスについて、いろいろとひそひそ話がされていた。「良い人だ」と言う者もあり、「