Bible said
『人はうわべを見るが、主は心を見る。』
『主の教えを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ人は、何をしても栄える』
『心を尽くして主に拠り頼め。 自分の悟りにたよるな』
『幸いなことよ。神の知恵を見いだす人は』
2015年5月23日(土)
ディボーション聖句
ルカの福音書 6:41~49
41あなたは、兄弟の目にあるちりが見えながら、どうして自分の目にある梁には気がつかないのですか。
42自分の目にある梁が見えずに、どうして兄弟に、『兄弟。あなたの目のちりを取らせてください』と言えますか。偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうしてこそ、兄弟の目のちりがはっきり見えて、取りのけることができるのです。
43悪い実を結ぶ良い木はないし、良い実を結ぶ悪い木もありません。
44木はどれでも、その実によってわかるものです。いばらからいちじくは取れず、野ばらからぶどうを集めることはできません。
45良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。なぜなら人の口は、心に満ちているものを話すからです。
46なぜ、わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、わたしの言うことを行わないのですか。
47わたしのもとに来て、わたしのことばを聞き、それを行う人たちがどんな人に似ているか、あなたがたに示しましょう。
48その人は、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、それから家を建てた人に似ています。洪水になり、川の水がその家に押し寄せたときも、しっかり建てられていたから、びくともしませんでした。
49聞いても実行しない人は、土台なしで地面に家を建てた人に似ています。川の水が押し寄せると、家は一ぺんに倒れてしまい、そのこわれ方はひどいものとなりました。」
[聖句メッセージ]
本日でルカの福音書6章は終わりです。
・マタイの福音書7:1~2
『他人をさばいてはいけません。さばかれないためです。
あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。』
41~42節 (41あなたは、兄弟の目にあるちりが見えながら、どうして自分の目にある梁には気がつかないのですか。42自分の目にある梁が見えずに、どうして兄弟に、『兄弟。あなたの目のちりを取らせてください』と言えますか。偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうしてこそ、兄弟の目のちりがはっきり見えて、取りのけることができるのです。)
このようにBible&Jesusは...人は皆、不完全で、罪悪や過ちを犯す性質があるので、その点をしっかりと受け留めて、他人の罪悪や誤りばかりに目を留め過ぎないように。また、自らの欠点や短所は さて置き、他人ばかりを責めないようにと、教え説きます。
平和で愛に満ちた人間関係を築くには、自分や他人の罪悪や過ちを、いつまでも責め過ぎないことが大切なのです。
・ルカの福音書6:37
『さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も神様から罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。』
41~42節,また聖書は、自らの過去の罪悪や失敗を反省せず、人のせいにばかりしている人は皆、いつの日か、神様から罪に定められるとまで、教え説いています。
自分自身や他人をゆるさずに、いつも責めてばかりいると、いつの間にか、悪霊に支配されて、神を敵に回す恐れもあると、教え説くのです。肝に銘じて下さい。
怒りや復讐心は、神に祈り任せることが大切なのです。
・ヨハネの福音書3:17~18
『神が御子イエスを世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子イエスによって、罪深い世が救われるためである。御子イエスを信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子イエスの御名前を信じなかったので、すでにさばかれている。』
42節,このように 主イエスの十字架の死とは...不完全な自らの人生を認めた人を、永遠の神のゆるしへと救い導ける、身代わりの「神の愛」となります。
聖書は、Jesusを信じるあなたは永遠にゆるされ、そういう人の霊の目と人生のチリは、徐々に取り除けられていくと、教え説いているのです。
・マタイの福音書12:34~37
『まむしのすえたち。おまえたち悪い者に、どうして良いことが言えましょう。人は心に満ちていることを口が話すのです。
良い人は、良い倉から良い物を取り出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を取り出すものです。わたしはあなたがたに、こう言いましょう。人はその口にするあらゆるむだな言葉や行動について、さばきの日には、神の御前で言い開きをしなければなりません。
あなたが正しいとされるのは、あなたのことば使いによるのであり、罪に定められるのも、あなたのことば使いによるのです。』
・マタイの福音書13:23
『ところが、良い地に蒔かれる人とは、みことばを聞いてそれを語り行なう人のことで、その人はほんとうに良い実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。』
43~45節 (43悪い実を結ぶ良い木はないし、良い実を結ぶ悪い木もありません。44木はどれでも、その実によってわかるものです。いばらからいちじくは取れず、野ばらからぶどうを集めることはできません。45良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。なぜなら人の口は、心に満ちているものを話すからです。)
またBibleは、人は皆、人生で何を語り、何を人に伝えて生きてきたのか?
また、何を語り、他人にどんな影響を与えてきたのか?
肉体の死後、神の御もとに連れて行かれて、人生の言葉使いについて、神の裁きを受けることになると教え説きます。
くちびるは、まさに、永遠なる災いの元とも、なり得るのです。
時に、あなたの言葉は、自らと他人の人生を活かしたり、その可能性を広げることもできますが、逆に、あなたの言葉は、自らと他人の人生を曲げたり、偉大な可能性を阻む恐れもあるということです。
ことばの大切さを胸に書き記して下さい。
・第一コリントの手紙14:3
『ところが、みことばの預言をする者は、人の徳を高め、慰めを与えられます。』
43~45節,しかしBibleは、聖書のみことばを蓄える人は皆、自らと他人の徳を高められる言葉使いや行動が出来るようになれると、教え説きます。
みことばには、神の聖なる言霊力が流れているのです。
・マタイの福音書7:24~27
イエスは言われた。
『だから、わたしのみことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。
雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。
また、わたしのみことばを聞いてそれを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。
雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。』
46~49節 (46なぜ、わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、わたしの言うことを行わないのですか。47わたしのもとに来て、わたしのことばを聞き、それを行う人たちがどんな人に似ているか、あなたがたに示しましょう。48その人は、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、それから家を建てた人に似ています。洪水になり、川の水がその家に押し寄せたときも、しっかり建てられていたから、びくともしませんでした。49聞いても実行しない人は、土台なしで地面に家を建てた人に似ています。川の水が押し寄せると、家は一ぺんに倒れてしまい、そのこわれ方はひどいものとなりました。」)
このようにBible&Jesusは、みことばを素直に受け入れて、出来る限り、証し伝えて行動する人は皆、何をしても、神様と天使が味方につくことになるので、マイナス的な事件があり得なくなると、約束してくれます。
神のみことばは、全人生にプラスしか与えない、神の恵みなのです。信じる者は報われます。
・ヤコブの手紙2:26
『しかし、たましいを離れたからだが、死んだものであるのと同様に、行いのない信仰は、死んでいるのです。』
しかし、Bible&Jesusのみことばによる行動や言動の伴わない人は皆、人生や死後に、大事件や大崩れも起きやすいと、聖書はハッキリと預言しています。胸に書き記して、みことばを活用することです。
あなたの人生を通して現れる、自らと他人の徳を高められる、みことば力に期待します。AMEN
(祈り)
主なる神様、皆を聖霊に満たし、日々のBible&メッセージを蓄えさせて、出来る限り、Jesusの言霊と生き様を表現出来るように、助け導いて下さい。
そうすれば、皆と周囲の人々に、神の偉大な御業と、情熱的な愛が現れ続けるからです!
主イエスのお名前で、期待して祈ります。AMEN!!!