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ルカの福音書6:1~11

Jesus said

「あなたの信じた通りになるように」

「何も思い煩わなくてもいい」

「勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです」

2015年5月18日(月)

ディボーション聖句

ルカの福音書6:1~11

1ある安息日に、イエスが麦畑を通っておられたとき、弟子たちは麦の穂を摘んで、手でもみ出しては食べていた。

2すると、あるパリサイ人たちが言った。「なぜ、あなたがたは、安息日にしてはならないことをするのですか。」

3イエスは彼らに答えて言われた。「あなたがたは、ダビデが連れの者といっしょにいて、ひもじかったときにしたことを読まなかったのですか。

4ダビデは神の家に入って、祭司以外の者はだれも食べてはならない供えのパンを取って、自分も食べたし、供の者にも与えたではありませんか。」

5そして、彼らに言われた。「人の子は、安息日の主です。」

6別の安息日に、イエスは会堂に入って教えておられた。そこに、右手のなえた人がいた。

7そこで律法学者、パリサイ人たちは、イエスが安息日に人を直すかどうか、じっと見ていた。彼を訴える口実を見つけるためであった。

8イエスは彼らの考えをよく知っておられた。それで、手のなえた人に、「立って、真ん中に出なさい」と言われた。その人は、起き上がって、そこに立った。

9イエスは人々に言われた。「あなたがたに聞きますが、安息日にしてよいのは、善を行うことなのか、それとも悪を行うことなのか。いのちを救うことなのか、それとも失うことなのか、どうですか。」

10そして、みなの者を見回してから、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。そのとおりにすると、彼の手は元どおりになった。

11すると彼らはすっかり分別を失ってしまって、イエスをどうしてやろうかと話し合った。

[聖句メッセージ]

 本日からルカの福音書6章です。

・出エジプト記20:8~11

『週一度の安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。人は皆、六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。

しかし七日目は、あなたの神、主の安息日である。あなたはどんな仕事もしてはならない。――あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの使用人、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も――それは創造主なる神様が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。

それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖日と宣言された。』

・出エジプト記31:14~16

『これは、あなたがたにとって聖なる礼拝の日であるから、あなたがたはこの安息を守らなければならない。

これを汚す者は必ず、いつか死ななければならない。この安息中に仕事をする者は、だれでも、その民から断ち切られる。

人は皆、六日間は仕事をしてもよい。

しかし、七日目は、主の聖なる全き休みの安息日である。安息の日に仕事をする者は、だれでも必ず死ななければならない。神の民はこの安息を守り、永遠の契約として、代々にわたり、この安息を守らなければならない。』

1~2節 (1ある安息日に、イエスが麦畑を通っておられたとき、弟子たちは麦の穂を摘んで、手でもみ出しては食べていた。2すると、あるパリサイ人たちが言った。「なぜ、あなたがたは、安息日にしてはならないことをするのですか。」)

 このようにBibleは、人は皆、最低、週に一度休まなければ、神の祝福や心霊体の健康も損なっていくと、預言します。

 人は皆、週に一度は休むように造られていると教え説くのです。

 何事もし過ぎには、注意することです。

 またBibleは、週一度の休日とは、創造主が設けた安息日として与えられているので、聖日礼拝を守れないでいると、やがて、永遠の生命力と聖霊力が衰え果てていくとも、預言するのです。

 聖日礼拝を守ることとは、神の国とのパイプや、その聖霊力や永遠の生命力を 太く、強くする為に必要不可欠だと、教え説くのです。

 2節,そして、ユダヤ教パリサイ派の人々は、以下のようにイエスに質問しました。

「イエス先生。なぜ、あなたの弟子たちは、仕事を休むべき安息日に、麦畑で農作業をしているのですか? 彼らは、週一度の安息日を守っていませんよ。」

3~5節 (3イエスは彼らに答えて言われた。「あなたがたは、ダビデが連れの者といっしょにいて、ひもじかったときにしたことを読まなかったのですか。4ダビデは神の家に入って、祭司以外の者はだれも食べてはならない供えのパンを取って、自分も食べたし、供の者にも与えたではありませんか。」5そして、彼らに言われた。「人の子は、安息日の主です。」)

 しかし、イエスはみ言葉を返しました。

 「いいえ。彼らは安息日を破っている訳ではありません。彼らは農作業の仕事をしているのではなく、聖日礼拝の奉仕でお腹が空いてしまったので、麦の穂を摘んで、食べているだけなのです。

 旧約聖書にも、模範的信仰者ダビデ王が、若い時に、食べ物がなくて、ひもじかった時、備え物のパンを料理して、食べていました。彼も料理の仕事をしていたのではなく、食べる為だけに料理しただけでした。そして、以下の真理を胸に書き記しなさい。安息日の為に、人が存在するのではなく、神は人を休ませて、HolySpiritと永遠の生命力を充電させる為に、週一度の安息日と『聖日礼拝』を設けられたのです。」

6~7節 (6別の安息日に、イエスは会堂に入って教えておられた。そこに、右手のなえた人がいた。7そこで律法学者、パリサイ人たちは、イエスが安息日に人を直すかどうか、じっと見ていた。彼を訴える口実を見つけるためであった。)

 そして、イエスを妬み、あら探しをしていたユダヤの権力者とパリサイ派の人々は、片手の不自由な人が、安息日の礼拝に来ていたのをじっくりと観察していました。

 なぜなら、イエスが彼の手を直すか、どうか見ていたのです。

7~8節 (7そこで律法学者、パリサイ人たちは、イエスが安息日に人を直すかどうか、じっと見ていた。彼を訴える口実を見つけるためであった。8イエスは彼らの考えをよく知っておられた。それで、手のなえた人に、「立って、真ん中に出なさい」と言われた。その人は、起き上がって、そこに立った。)

 このように、イエスを罠にかけようとしていた権力者たちは、もし、イエスが片手の萎えた人を癒した場合、イエスは安息日に医療行為(仕事)をして、安息日を犯したと言いふらすつもりだったのです。

・イザヤ書41:13

『あなたの神、主であるわたしが、あなたの右の手を堅く握り、「恐れるな。わたしがあなたを助ける」と言っているのだから。』

・マルコの福音書12:33

『「心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして主なる神を愛し、また、隣人をあなた自身のように愛しなさい。」ということは、どんな物事や全焼のいけにえよりも、ずっとすぐれています。』

9~11節 (9イエスは人々に言われた。「あなたがたに聞きますが、安息日にしてよいのは、善を行うことなのか、それとも悪を行うことなのか。いのちを救うことなのか、それとも失うことなのか、どうですか。」10そして、みなの者を見回してから、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。そのとおりにすると、彼の手は元どおりになった。11すると彼らはすっかり分別を失ってしまって、イエスをどうしてやろうかと話し合った。)

 しかしJesusは、そんな罠を恐れもしませんでした。Jesusは、人が生きるためや、貧しさと飢えをしのぐ為なら、そして他人を救う愛の為ならば、安息日を守れなくてもやむを得ないと、教えてくれたのです。

・第一サムエル記16:7

『主はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、見せかけを見てはならない。わたしは彼を退けている。わたしは人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見られる。」』

 このようにBibleは...人は皆、他人の容姿、見せかけの行動や態度を見て評価しますが、あなたの主なる神様は人の心の奥深くを見て、人生と死後の恵みと報いを振り分けられると、ハッキリ教え説いています。

 肝に銘じることです。

 あなたの人生と死後に振り分けられる、神の最高の恵みと偉大なる報いに期待します。AMEN

(祈り)

 主なる神様、皆の霊の目を開かせて、神愛と隣人愛を大切にさせ、安息となる「聖日礼拝」を守れるように、助け導いてあげて下さい。

 そうすれば皆、神の国とのパイプと聖霊力や永遠の生命力が強められ、人生と死後にも、最高の報いを受け続けられるからです!主イエスのお名前で期待して祈ります。AMEN!!!

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