• sgbc-devotion

マルコの福音書15:37~38

Jesus said

『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』

『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』

2015年4月16日(木)

ディボーション聖句

マルコの福音書15:37~38

37それから、イエスは大声をあげて息を引き取られた。

38神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。

[聖句メッセージ]

 昨日の続きです。

37~38節 (37それから、イエスは大声をあげて息を引き取られた。38神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。)

 旧約聖書の預言通り...主イエスキリストが十字架上で、全人類の罪、咎、過ちの身代わりの死を遂げられると同時に、決して、破れるはずのない神殿の幕屋の厚い幕が、縦に 真っ二つに破れてしまいました。

 38節,以下は、神殿の幕屋(幕)についてのみことばです。

・ヘブル人への手紙9:6~7

『神殿の最初の幕屋には、祭司たちがいつも入って礼拝を行うのですが、第二番目の幕屋の中には、大祭司だけが年に一度だけ入って、やぎと子牛などの血を、自分と神の民たちが知らずに犯した罪のためにささげていたのです。』

・ヘブル人への手紙9:12

『神の御子イエスキリストは、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、幕屋の中の聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。』

・ヘブル書9:25~28

『年ごとに自分の血でない、やぎと子牛の血を携えて聖所に入る大祭司とは違って、神の御子イエスキリストは、ご自分を幾度もささげることはなさいません。もしそうでなかったら、世の初めから幾度も苦難を受けなければならなかったでしょう。しかし、イエスキリストは、ただ一度、ご自身をいけにえとして、ご自分を信じるすべての人々の罪を取り除くために、来られたのです。そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、救い主イエスキリストも、多くの人の罪と咎を負うために一度、ご自身の命をささげられたのです。』

 38節,このようにBibleは、神殿の幕屋の中とは、父なる神様の特別な聖所であり、神に選ばれし聖職者たちだけしか、その幕の中を、自由に出入りすることが許されなかったと、教え説きます。

 つまり神殿の幕屋の幕とは、神様と聖職者と、そうでない人との壁の役割もしていたのです。しかし、神の御子イエスキリストがご自身の血と命を、全人類のいけにえとして捧げられてからは、幕屋の幕の隔たりといけにえ制度も消え去ったと、教え説きます。

 主イエスのおかげで、人は皆、専門的な聖職者のとりなしがなくとも、主イエスを信じて告白さえ出来れば、ただそれだけで、全ての罪悪や咎、過ちはゆるされて「神の子」とされるようになったので、もう、幕屋の幕は必要なくなったということなのです。

・ローマ信徒への手紙10:9~10

『なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。聖書はこう言っています。「主イエスに信頼する者は、失望させられることがない。」』

 あなたの生活習慣に現れる、神との揺るがぬ信頼関係、調和と一体感に期待します。AMEN

(祈り)

 主なる神様、皆を聖霊に満たして、日々のBible&メッセージから、真のJesusの十字架力と愛力を悟らせて下さい。

 そうすれば、皆と神様との要らぬ壁や誤解が取り去られて、もっと大きな神の御業を引き出せるからです!

 主イエスのお名前で期待して祈ります。AMEN!!!

3回の閲覧0件のコメント

最新記事

すべて表示

ヨハネの福音書7:14~18

2020年2月23日(日) ディボーション聖句 ヨハネの福音書7:14~18 14 しかし、祭りもすでに中ごろになったとき、イエスは宮に上って教え始められた。 15 ユダヤ人たちは驚いて言った。「この人は正規に学んだことがないのに、どうして学問があるのか。」 16 そこでイエスは彼らに答えて言われた。「わたしの教えは、わたしのものではなく、わたしを遣わした方のものです。 17 だれでも神

ヨハネの福音書7:10~13

2020年2月22日(土) ディボーション聖句  ヨハネの福音書7:10~13 10 しかし、兄弟たちが仮庵の祭りに上ったとき、イエスご自身も、公にではなく、いわば内密に上って行かれた。 11 ユダヤ人たちは、祭りのとき、「あの方はどこにおられるのか」と言って、イエスを捜していた。 12 そして群衆の間には、イエスについて、いろいろとひそひそ話がされていた。「良い人だ」と言う者もあり、「