2015年4月2日(木)
Jesus said
『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』
『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』
ディボーション聖句
マルコの福音書14:3~9
3イエスがベタニヤで、ツァラアトに冒された人シモンの家におられたとき、食卓に着いておられると、ひとりの女が、純粋で、非常に高価なナルド油の入った石膏のつぼを持って来て、そのつぼを割り、イエスの頭に注いだ。
4すると、何人かの者が憤慨して互いに言った。「何のために、香油をこんなにむだにしたのか。
5この香油なら、三百デナリ以上に売れて、貧しい人たちに施しができたのに。」そうして、その女をきびしく責めた。
6すると、イエスは言われた。「そのままにしておきなさい。なぜこの人を困らせるのですか。わたしのために、りっぱなことをしてくれたのです。
7貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょにいます。それで、あなたがたがしたいときは、いつでも彼らに良いことをしてやれます。しかし、わたしは、いつもあなたがたといっしょにいるわけではありません。
8この女は、自分にできることをしたのです。埋葬の用意にと、わたしのからだに、前もって油を塗ってくれたのです。
9まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」
[聖句メッセージ]
昨日の続きです。
3節『ベタニヤ』とは 聖地・エルサレム近郊の地名で、主イエスと非常に親しかった三兄弟のマルタ(姉)、マリア(妹)、ラザロ(末弟)の住んでいた土地です。
尚『ベタニヤ』は、現在のオリーブ山の南東麓にあるパレスチナ自治区 アル・エルザリヤという村に当たるとされています。
3節『ツァラト』とは、原因不明の不治の皮膚病で、放っておくと、皮膚がどんどん腐って崩れてきて、皮膚の感覚がなくなっていく症状になります。
尚、この「ツァラト」は、人間の罪の性質と似ていて、どんどん罪性(病)が進んでいくと、罪悪(病)の意識(感覚)がなくなることに似ており、人間の罪悪の象徴の病としても、取り扱われていたのです。
また、この「ツァラト」は感染力は非常に低いのですが、稀に他人に感染する恐れもあった為に、隔離されて暮らさなければならず、道を歩く時は「私は汚れている」「汚れているから、近づかないで下さい」と叫びながら、健常者たちとは一定の距離を置いて、歩かなければならなかったのです。
3節 (3イエスがベタニヤで、ツァラアトに冒された人シモンの家におられたとき、食卓に着いておられると、ひとりの女が、純粋で、非常に高価なナルド油の入った石膏のつぼを持って来て、そのつぼを割り、イエスの頭に注いだ。)
しかし、イエスと弟子たちは、このツァラト(重度の皮膚病)を患っていた人たちを全く差別せず、主イエスを信じて「神の子」とされた、ツァラトのシモンと共に会食したりして、友愛を深めていたのです。
この世界は、何をするにも党派心に満ちた差別社会、しかし神の国(JesusFamily)は、愛に満ちた平等社会に根付いているのです。
・第二歴代誌19:7
『今、主への恐れがあなたがたにあるように。人を差別せずに忠実に生きなさい。私たちの神、主には、不正も、えこひいきも、わいろを取ることもないからです。』
・マラキ書2:9
『――万軍の主なる神は仰せられる――わたしもまた、あなたがたを、すべての民にさげすまれ、軽んじられる者とする。あなたがたがわたしのみことばを守らず、人を差別してえこひいきをしたからだ。』
3節,あなたは人の容姿、財力や地位など、他人の見かけばかりを見過ぎて、他人を過大評価し過ぎたり、見下したりなどの差別意識はありませんか?
また、古くからのしがらみ、似た者同士意識、肉体関係と罪悪などの快楽に根付いた、片寄った人間関係に重きを置き過ぎていませんか?
人間関係のあり方は、神の味方と幸運を惹き付けるのに、非常に重要なので、微調整が必要なのです。
・ローマ信徒への手紙12:3
『だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。』
・箴言29:25
『人を恐れると人生のわなにかかる。しかし主なる神に信頼する者は守られる。』
聖書は...神の目から見れば、人は皆、衰えて消えてなくなる存在に過ぎず、人の善悪や才能にも限度があり、さほど大差などないと教え説きます。
人は皆、不完全だと教え説くのです。思い上がらず、他人を恐れ過ぎないことが大切なのです。
3節この『ナルドの香油』とは非常に高価な香油であり、当時のユダヤ人やローマ人の金持ちは、この香油を死体を葬るのによく用いていました。
4~8節 (4すると、何人かの者が憤慨して互いに言った。「何のために、香油をこんなにむだにしたのか。5この香油なら、三百デナリ以上に売れて、貧しい人たちに施しができたのに。」そうして、その女をきびしく責めた。6すると、イエスは言われた。「そのままにしておきなさい。なぜこの人を困らせるのですか。わたしのために、りっぱなことをしてくれたのです。7貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょにいます。それで、あなたがたがしたいときは、いつでも彼らに良いことをしてやれます。しかし、わたしは、いつもあなたがたといっしょにいるわけではありません。8この女は、自分にできることをしたのです。埋葬の用意にと、わたしのからだに、前もって油を塗ってくれたのです。」)
そして、一人の女性がイエスのもとにやって来て、このナルドの香油の瓶を割って、イエスの頭に注ぎ出したのです。
そのナルドの香油は、なんと、時下約300万円(300デナリ)分もあったのでした。すると、それを見た人々は、口々に言いました。「何ということをするんだ。もったいない!」
・マタイの福音書13:45~46
『天の御国は、良い真珠を捜している商人のようなものです。すばらしい値うちの真珠を一つ見つけた者は、行って持ち物を全部売り払ってでも、それを買ってしまいます。』
・マタイの福音書6:20~21
主イエスは言われた。
『自分の宝は、天にもたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。』
4~9節,そしてイエスは、そこにいた人々と、高価な香油を注いでくれた女性に言いました。
「みんな、この女性を責めるのはやめなさい。実は、この女性は、今立派なことをしてくれています。わたしが十字架上で死ぬ前に、最高な埋葬の用意をしてくれているのです。そして、この女性がしてくれたことは、天に宝を積む模範的な愛として、永遠の伝説として語り継がれるのです。」
9節 (9まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。)
この女性の名前は「マリア」。
主イエスのみことばの約束通り...彼女は、約2000年経った今でも、プロテスタントでは誰よりも天に宝を積んだ、愛に満ちた女性であり、カトリックでは聖人として、永遠の伝説を築いたのです。
あなたの人生に現れる、神と人を感動させる、愛の模範的行為と天に宝を積む行為に期待します。AMEN
(祈り)
主なる神様、皆を聖霊に満たして、Bibleのみことばから神の知恵とインスピレーションを受けて、愛の模範者と天に宝を積める者たちにして下さい。
そうすれば皆に、神の奇跡と百倍の報いが与えられるからです!
主イエスのお名前で、期待して祈ります。AMEN!!!