2015年3月19日(木)
Jesus said
『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』
『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』
ディボーション聖句
マルコの福音書11:12~21
12翌日、彼らがベタニヤを出たとき、イエスは空腹を覚えられた。
13葉の茂ったいちじくの木が遠くに見えたので、それに何かありはしないかと見に行かれたが、そこに来ると、葉のほかは何もないのに気づかれた。いちじくのなる季節ではなかったからである。
14イエスは、その木に向かって言われた。「今後、いつまでも、だれもおまえの実を食べることのないように。」弟子たちはこれを聞いていた。
15それから、彼らはエルサレムに着いた。イエスは宮に入り、宮の中で売り買いしている人々を追い出し始め、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒し、
16また宮を通り抜けて器具を運ぶことをだれにもお許しにならなかった。
17そして、彼らに教えて言われた。「『わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる』と書いてあるではありませんか。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしたのです。」
18祭司長、律法学者たちは聞いて、どのようにしてイエスを殺そうかと相談した。イエスを恐れたからであった。なぜなら、群衆がみなイエスの教えに驚嘆していたからである。
19夕方になると、イエスとその弟子たちは、いつも都から外に出た。
20朝早く、通りがかりに見ると、いちじくの木が根まで枯れていた。
21ペテロは思い出して、イエスに言った。「先生。ご覧なさい。あなたののろわれたいちじくの木が枯れました。」
[聖句メッセージ]
昨日の続きです。
12節『ベタニヤ』とは、聖地・エルサレム近郊の街。現在では、オリーブ山麓の南東部に位置する、バレスチナ人の村 アル・エルザリヤに当たるとされています。
12~14節 (12翌日、彼らがベタニヤを出たとき、イエスは空腹を覚えられた。13葉の茂ったいちじくの木が遠くに見えたので、それに何かありはしないかと見に行かれたが、そこに来ると、葉のほかは何もないのに気づかれた。いちじくのなる季節ではなかったからである。14イエスは、その木に向かって言われた。「今後、いつまでも、だれもおまえの実を食べることのないように。」弟子たちはこれを聞いていた。)
このベタニヤの街を歩いていたイエスは、空腹のために イチジクの木の実を取って食べようとしましたが、その木は、全く良い実を結ばせておらず、本来のイチジクの木の役割りを果たせていなかったので、イエスは、この木を枯らしてしまわれました。全ての生物と植物には、存在意義があるのです。
・マルコの福音書12:33
主イエスは言われた。
『「心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして主なる神様を愛し、また、隣人をあなた自身のように愛する。」ことは、人生のどんなことよりも大切で、優れています。』
15~18節 (15それから、彼らはエルサレムに着いた。イエスは宮に入り、宮の中で売り買いしている人々を追い出し始め、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒し、16また宮を通り抜けて器具を運ぶことをだれにもお許しにならなかった。17そして、彼らに教えて言われた。「『わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる』と書いてあるではありませんか。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしたのです。」18祭司長、律法学者たちは聞いて、どのようにしてイエスを殺そうかと相談した。イエスを恐れたからであった。なぜなら、群衆がみなイエスの教えに驚嘆していたからである。)
このようにBibleは、人間の存在意義の第一とは、神と隣人を愛することだと教え説きます。胸に書き記すことです。
しかし、当時のユダヤ社会の権力の中枢を支配していた神の選民(信仰者)たちは、神を愛して 隣人の救いに努めることや、人の徳を高めることよりも、個々の経済活動と快楽の為に、大半の体力と時間を費やしていた為に、イエスは以下のように、厳しく悔い改めを促されたのです。
「あなたがたは 祈りの家に、個々の経済と欲望に関する事ばかりを持ち込み過ぎてしまって、神の恵みを盗んでいる。目をさましなさい。」
このようにイエスに核心をつかれて、恥をかいたユダヤ人権力者たちは怒りに燃えて、イエスの殺人計画を具体的に進め始めたのです。
・マタイの福音書7:15~19
主イエスは言われた。
『にせ者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。あなたがたは、人生の実によって彼らを見分けることができます。ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。同様に、良い人はみな良い実を結ぶが、悪い人はみな、悪い実を結びます。』
15~18節,このようにBible&Jesusは、他人を肩書き、ルックス、口先の言葉や表向きの態度だけで判断しないで、それよりも、人生に現れる、個々の生活や性格の実や、救霊と愛の実を見て、判断するように教え説きます。
大半の人は皆、財産額、肩書きとルックスや、表向きの言動と態度を見て評価しますが、あなたの神様は人の心の深みと、隣人に対しての救霊と愛の実を見て、 評価されるお方だからです。
・ヤコブの手紙2:20
『ああ愚かな人よ。あなたは行いのない信仰がむなしいことを知りたいと思いますか。』
・ヤコブの手紙2:17
『信仰も、もし行いがなかったなら、それだけでは、死んだものです。』
19~21節 (19夕方になると、イエスとその弟子たちは、いつも都から外に出た。20朝早く、通りがかりに見ると、いちじくの木が根まで枯れていた。21ペテロは思い出して、イエスに言った。「先生。ご覧なさい。あなたののろわれたいちじくの木が枯れました。」)
このようにイエスは、当時のユダヤ人権力者たちの信仰生活は行いが乏しく、個々の営利活動と快楽に走り過ぎていたので、全く意味がなく、このままではイチジクの木のように、神の恵みが全て枯れ果ててしまうと、忠告されたのです。
現在のあなたの信仰と人生のあり方は、どうですか? 日々のBible&メッセージから微調整することです。
・マタイの福音書7:21
主イエスは言われた。
『そして、良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。わたしに向かって、「主よ、主よ」と言う者が、みな天の御国に入れるのではなく、天におられるわたしの父のみことばを行う者が入るのです。』
あなたの人生と生活に現れる、父なる神様と他者に認められるほどの良い実に期待します。AMEN
(祈り)
主なる神様、皆を聖霊に満たし、日々のBible&メッセージで心霊と人生のあり方を微調整して、助け導いて下さい。
そうすれば皆の人生に、父なる神様と他者から認められるほどの最高の実が現れ出すからです!
主イエスのお名前で、期待して祈ります。AMEN!!!