2015年2月23日(月)
Jesus said
『平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。』
『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』
ディボーション聖句
マルコの福音書6:35~46
『35そのうち、もう時刻もおそくなったので、弟子たちはイエスのところに来て言った。「ここはへんぴな所で、もう時刻もおそくなりました。
36みんなを解散させてください。そして、近くの部落や村に行って何か食べる物をめいめいで買うようにさせてください。」
37すると、彼らに答えて言われた。「あなたがたで、あの人たちに何か食べる物を上げなさい。」そこで弟子たちは言った。「私たちが出かけて行って、二百デナリものパンを買ってあの人たちに食べさせるように、ということでしょうか。」
38するとイエスは彼らに言われた。「パンはどれぐらいありますか。行って見て来なさい。」彼らは確かめて言った。「五つです。それと魚が二匹です。」
39イエスは、みなを、それぞれ組にして青草の上にすわらせるよう、弟子たちにお命じになった。
40そこで人々は、百人、五十人と固まって席に着いた。
41するとイエスは、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて祝福を求め、パンを裂き、人々に配るように弟子たちに与えられた。また、二匹の魚もみなに分けられた。
42人々はみな、食べて満腹した。
43そして、パン切れを十二のかごにいっぱい取り集め、魚の残りも取り集めた。
44パンを食べたのは、男が五千人であった。
45それからすぐに、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませ、先に向こう岸のベツサイダに行かせ、ご自分は、その間に群衆を解散させておられた。
46それから、群衆に別れ、祈るために、そこを去って山のほうに向かわれた。』
[聖句メッセージ]
昨日の続きです。
35節 (『35そのうち、もう時刻もおそくなったので、弟子たちはイエスのところに来て言った。「ここはへんぴな所で、もう時刻もおそくなりました。」)
イエスの時代は、印刷や製本技術が発達していなかった為、Bibleのみことばを 直接、通読できる人々は限られていました。聖職者、律法学者や裕福な人たちしか、Bibleのみことばを手に入れて読むことが出来なかったのです。
そのため、当時の信仰者と、人が生きるために必要な真理を学びたい人は皆、直接、ユダヤ教の会堂施設に行くか、または、礼拝に行くしか、Bibleに触れることができなかったのです。
そして、多くの信徒たちは、Bible&メッセージを暗記していたのです。
・箴言2:1,2,5
神は約束した。『わが子よ。もしあなたが、わたしのみことばを受け入れ、わたしのみことばの命令をあなたのうちにたくわえ、あなたの耳をみことばの知恵に傾け、あなたの心をその英知に向けるなら、そのとき、あなたは、主を恐れることを悟り、神の知識を見いだそう。』
このようにあなたの神様は、みことばを蓄える人は皆、神の知恵とインスピレーションを受けられると、約束してくれました。多くのBibleのみことばを胸に書き記して、神の味方と後ろ盾を強めることです。
36節 (36みんなを解散させてください。そして、近くの部落や村に行って何か食べる物をめいめいで買うようにさせてください。)
この日も、BibleのみことばとJesusの奇跡の祈りを求めに来た人々が、多勢 イエスのもとにやって来ていました。その数は男性だけで5千人、女性と子供を合わせると、総勢一万人以上でした。あまりに多勢だったので、夕飯時になってしまったのです。
37~38節 (37すると、彼らに答えて言われた。「あなたがたで、あの人たちに何か食べる物を上げなさい。」そこで弟子たちは言った。「私たちが出かけて行って、二百デナリものパンを買ってあの人たちに食べさせるように、ということでしょうか。」38するとイエスは彼らに言われた。「パンはどれぐらいありますか。行って見て来なさい。」彼らは確かめて言った。「五つです。それと魚が二匹です。」)
『200デナリ』とは、現在の日本円に換算すると、約100万円くらいになります。そしてイエスは、1日中礼拝と祈りを捧げていた人たちを 気遣い、弟子たちに夕飯を振舞うように話しかけました。しかし 弟子たちは、集まった全員を食べさせる食料はなく、約100万円分のパン代が必要だと話したのです。
・マタイの福音書6:31~34
主イエスは言われた。『あなたがたは何を食べるか、何を飲むか、何を着るか などと言って、生活のことで心配するのは、もうやめなさい。こういうものはみな、神を知らない異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父なる神様は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国と神の義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、あなたのすべての必要は与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あるからです。』
・ルカの福音書11:9
イエスは約束した。『わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。』
38~44節 (38するとイエスは彼らに言われた。「パンはどれぐらいありますか。行って見て来なさい。」彼らは確かめて言った。「五つです。それと魚が二匹です。」39イエスは、みなを、それぞれ組にして青草の上にすわらせるよう、弟子たちにお命じになった。40そこで人々は、百人、五十人と固まって席に着いた。41するとイエスは、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて祝福を求め、パンを裂き、人々に配るように弟子たちに与えられた。また、二匹の魚もみなに分けられた。42人々はみな、食べて満腹した。43そして、パン切れを十二のかごにいっぱい取り集め、魚の残りも取り集めた。44パンを食べたのは、男が五千人であった。)
これらのみことばの約束通り...純粋に、神の国のみことばを求め、祈りに来た一万人以上の人々に、イエスは食事を整えたのです。どうやって、整えられたのか、それが重要なのではありません。
Bible&Jesusは、幸いな人生を築くのに 過度の衣食住への心配や、将来への不安を持ち過ぎることは、マイナスだと教え説くのです。それらの過度の思いは、心霊にストレスと不健康を与えるだけであり、人生は、心配したところで解決する訳ではないと、心の持ち方を教え諭してくれたのです。
・ローマ信徒への手紙5:5
『イエスの教える希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。』
・ローマ信徒への手紙10:11
『聖書はこう言っています。「主イエスに信頼する者は、失望させられることがない。」』
・ガラテヤの手紙6:9
『みことばの善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、良いものを刈り取ることになるからです。』
・ルカの福音書18:1
『あなたがたは いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。』
45~46節 (45それからすぐに、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませ、先に向こう岸のベツサイダに行かせ、ご自分は、その間に群衆を解散させておられた。46それから、群衆に別れ、祈るために、そこを去って山のほうに向かわれた。)
あなたに心配事や将来への不安感はありませんか? もし、多少なりともあるのならば...今日、Bible&Jesusのみことばを信頼して、祈ることです。
そうすれば父なる神様は、あなたに耐えられない試練など与えず、主イエスはあなたを失望させないと、約束してくれるからです。
あなたに与えられる、神の大いなる御業と御恵みに期待します。AMEN
(祈り)
主なる神様、改めて、皆を 主イエスの十字架でゆるし清めて下さり、どうか、今日の皆のすべての祈りにきいて下さい。
そうすれば、皆のすべての問題は解決し出して、全必要が満たされることになるからです!主イエスのお名前で、期待して祈ります。AMEN!!!
信じる者は、報われるのです...