①アベルの信仰 (創世記4:2~17)
弟アベルは、最高な子羊の初子を捧げたが、兄カインは普通の農作物を捧げた。アベルは大切な生活の糧をみことば通り、それ以上に最高なモノを捧げて神愛と神礼拝を表した。しかし、カインはみことばの解釈を誤って、普通に農作物を捧げた。
・ヘブル人への手紙11:4
『信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得ました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だとあかししてくださったからです。彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語り継がれています。』
*神様に最高な捧げ物をしたアベルは神様から最高の報いと永遠の栄誉を手に入れられたが、常識的な捧げ物をしたカインは、一般的な報いと嫉妬心を刈り取ってしまい、結果、永遠の呪いをも引き出してしまった。
②エノク (創世記5:21~24)
エノクは、みことばに従順に生き続けた。神は、その報いとして、彼を人生で一番辛い病、迫害、裏切り、死の苦しみを 全て免除され、生きたまま、神の国へと携挙させた。
・創世記5:24
『エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼は死なずにいなくなった』
*みことばに従順な人の痛み苦しみ、試練は、必ず取り去られ、神の奇跡さえも引き起こせる。
③ノア (創世記6:5~9)
ノアは世界人類の罪悪と神の裁きの終末のみことばを 素直に信じて、家族共々、生活習慣を悔い改め、毎日、大洪水から救われるための箱舟つくりをしながら、仲間たちに福音を宣べ伝え続けた。
・創世記6:22
『ノアは、すべて神が命じられたみことば通りにし、そのように行った。』
*ノアのように、みことばの終末の預言を堅く信じて、隣人に福音を語り続けながら、毎日の仕事と現代の箱舟である「教会」形成を しっかり立てあげようとする人々とその子孫たちに、あなたの父なる神様は特別な助けと報いを与えられる。生活のバランスが大切。
④アブラハム (創世記17:3~14)
彼はみことばが下ると、今まで、何も問題なく住み慣れていた町や仕事のキャリア、人間関係をすべて手放して、彼の行きたいところではなく、みことばの示すままに、行き先の分からないままに、未来の神の民のための約束の地を探す旅に出かけた。アブラハムは、現在でも、模範的な「信仰の父」として敬愛されている。
・創世記17:6
神は約束された。
『わたしは、あなたの子孫と民族をおびただしくふやし、あなたを幾つかの国民の父とする。また、あなたの子孫から、王たちが出て来よう。』
*アブラハムのように、この世の人生に捕われ過ぎず、また自分のしたい事ばかりではなく、みことばを重んじながら、未来の神の民たちのために信仰と愛の行動をする人々とその子孫たちは、伝説になるほどの神の報いが待ち受けている。ただただ、期待するべし。
⑤サラ (創世記17:15~19)
アブラハムの妻であるサラは、医学的には高齢であり、妊娠出産はあり得なかったのだが、常識よりも、超常識的なみことばの約束を100%信じられた為に子を宿して、イサクを生んだ。
・創世記18:14~15
14主に不可能なことがあろうか。わたしは来年の今ごろ、定めた時に、あなたのところに戻って来る。そのとき、高齢のサラには男の子ができている。」
15サラは「私は笑いませんでした」と言って打ち消した。恐ろしかったのである。しかし主は仰せられた。「いや、確かにあなたは笑った。」
*主に不可能はないと、心底、信じて告白できる者にだけ、現代医学や科学を超越した奇跡は起こる。あなたの主イエスに不可能はないと、信じることが信仰なのである。
☆結論☆
自分中心の生活習慣と人間関係をBible&Jesusに中心に改め、教会の仲間たちと祈りとみことばで一致しながら歩めれば、必ず、よい身は多く現れる。しかし、周囲の人々が救われるほどの証しが立てられないのなら、改め続けるしかない。
なぜなら、あなたの主に不可能はなく、Bibleのみことばに非はないのだから。それを信じるのが信仰である。
・ローマ信徒への手紙12:1~2
1そういうわけですから、兄弟姉妹たち。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
2この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。
・ヨハネの福音書14:12~13 主イエスは約束した。
12まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行うわざを行い、またそれよりもさらに大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです。
13またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。
・マタイの福音書8:13
それから、イエスは言われた。「さあ行きなさい。あなたの信じたとおりになるように。」