2015年2月19日(木)
Jesus said
『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』
『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』
ディボーション聖句
マルコの福音書6:1~6
1イエスはそこを去って、郷里に行かれた。弟子たちもついて行った。
2安息日になったとき、会堂で教え始められた。それを聞いた多くの人々は驚いて言った。「この人は、こういうことをどこから得たのでしょう。この人に与えられた知恵や、この人の手で行われるこのような力あるわざは、いったい何でしょう。
3この人は大工ではありませんか。マリヤの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではありませんか。その妹たちも、私たちとここに住んでいるではありませんか。」こうして彼らはイエスにつまずいた。
4イエスは彼らに言われた。「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、親族、家族の間だけです。」
5それで、そこでは何一つ力あるわざを行うことができず、少数の病人に手を置いていやされただけであった。
6イエスは彼らの不信仰に驚かれた。それからイエスは、近くの村々を教えて回られた。
[聖句メッセージ]
本日からマルコの福音書は6章です。
・マタイの福音書2:1
『イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになった。』
・ルカの福音書4:16
『イエスはご自分の育ったナザレに行き、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとして立たれた。』
1節 (1イエスはそこを去って、郷里に行かれた。弟子たちもついて行った。)
このように「イエス・キリスト」は、イスラエル国(ユダヤ)のベツヘレムという町で生まれましたが、ガリラヤ地方の「ナザレ」という町で育ちました。
2~3節 (2安息日になったとき、会堂で教え始められた。それを聞いた多くの人々は驚いて言った。「この人は、こういうことをどこから得たのでしょう。この人に与えられた知恵や、この人の手で行われるこのような力あるわざは、いったい何でしょう。3この人は大工ではありませんか。マリヤの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではありませんか。その妹たちも、私たちとここに住んでいるではありませんか。」こうして彼らはイエスにつまずいた。)
主イエスは30歳まで、このナザレに家族と親類たちと住んでいたのです。
・使徒の働き13:25
『洗礼者ヨハネは、その一生を終えようとするころ、こう預言しました。
「あなたがたは、私をだれと思うのですか。私は救い主ではありません。ご覧なさい。そのお方は私のあとからおいでになります。私は、そのお方のくつのひもを解く値うちもありません。」』
・マタイの福音書4:12~16
『洗礼者ヨハネが捕らえられたと聞いたイエスは、すぐにガリラヤへ立ちのかれた。そしてナザレを去って、カペナウムに来て住まわれた。ゼブルンとナフタリとの境にある、湖のほとりの町である。
これは、旧約聖書の預言者イザヤを通して言われた事が、成就するためであった。
すなわち、「ゼブルンの地とナフタリの地、湖に向かう道、ヨルダンの向こう岸、異邦人のガリラヤ。
暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った。」
この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」』
2~3節,世界人類の救い主イエスは、旧約聖書の預言者イザヤの預言通りに、およそ30歳までナザレで暮らした後、神からの洗礼者ヨハネが捕らえられたという噂を聞くと、聖書の預言通りにカペナウムに移り住み、福音宣教を開始したのです。
このように主イエスはBibleの神のみことば通りに生きた、神の御子キリストでした。
・マタイの福音書1:22
『このすべての出来事は、主が聖書の預言者を通して言われた事が成就するためであった。』
・マタイの福音書5:17~18
主イエスは言われた。
『わたしが来たのは、聖書の律法や預言者のことばを廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、すべて成就するために来たのです。まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、聖書の律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。』
3~6節 (4イエスは彼らに言われた。「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、親族、家族の間だけです。」5それで、そこでは何一つ力あるわざを行うことができず、少数の病人に手を置いていやされただけであった。6イエスは彼らの不信仰に驚かれた。それからイエスは、近くの村々を教えて回られた。)
このようにBibleとは、全てが神の霊感により書かれており、全世界と全人生に適用できる 神の預言的書物だと教え説きます。
どんな人生さえも、Bible&Jesusを信じて 読み続けるのならば、その人に必要な神の預言と未来への約束は与えられるのです。
また殆どの宗教は、絶対的な教祖のインスピレーションと指導力で支配されますが、Bible&Jesusは、人は皆、不完全で、肉欲もあって移ろいやすいので、神のような絶対的な教祖になることは不可能であると、教え説きます。
イエスは、目に見えない父なる神様だけを礼拝しつつ、永遠に変わることのない Bibleのみことばを絶対視すれば良いと、信仰の模範を示してくれたのです。
・第一コリントの手紙1:21
『事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵とご計画によるのです。それゆえ、神はみこころによって、人の語る宣教のみことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。』
3~6節,このように聖書は、みことばの真理から外れた人たちのことばと宗教組織には、神の聖霊は住まわれないと、ハッキリ預言します。
Bibleを読んで 本物か、偽物なのか見分けることです。
・ローマ信徒への手紙3:10
『義人はいない。ひとりもいない。』
・箴言29:25~26
『人を恐れると人生のわなにかかる。しかし主のみことばに信頼する者は守られる。支配者の顔色をうかがう者は多い。しかし人をさばくのは主だけである。』
3~6節,30歳までのイエスをよく知っていたナザレの人々は、Bibleのみことばではなく、イエスの過去の生い立ちばかりを考え過ぎてしまい、
イエスが「救い主」であることの預言のみことばを見逃してしまったのです。その為に主イエスは、不信仰であった地元のナザレの人々にだけは、奇跡を起こしませんでした。
・マルコの福音書9:23
『するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。わたしを信じる者には、どんなことでもできるのです。」』
6節,このように、Bible&Jesusのみことばを100%信じる者にだけ、数多くの神の奇跡は任されます。あなたに与えられる、奇蹟を引き起こせるJesus信仰に期待します。AMEN
(祈り)
主なる神様、皆を聖霊に満たし、Bibleのみことばを100%信じられるJesus信仰をお与え下さい。
そうすれば皆に必要な神の奇跡と百倍の報いが起こり出すからです!主イエスのお名前で、期待して祈ります。AMEN!!!