2015年1月24日(土)
Bible said 『主の教えを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ人は、何をしても栄える』 『心を尽くして主に拠り頼め。 自分の悟りにたよるな』 『幸いなことよ。神の知恵を見いだす人は』 ディボーション聖句 マタイの福音書27:27~44 27 それから、総督の兵士たちは、イエスを官邸の中に連れて行って、イエスの回りに全部隊を集めた。 28 そして、イエスの着物を脱がせて、緋色の上着を着せた。 29 それから、いばらで冠を編み、頭にかぶらせ、右手に葦を持たせた。そして、彼らはイエスの前にひざまずいて、からかって言った。「ユダヤ人の王さま。ばんざい。」 30 また彼らはイエスにつばきをかけ、葦を取り上げてイエスの頭をたたいた。 31 こんなふうに、イエスをからかったあげく、その着物を脱がせて、もとの着物を着せ、十字架につけるために連れ出した。 32 そして、彼らが出て行くと、シモンというクレネ人を見つけたので、彼らは、この人にイエスの十字架を、むりやりに背負わせた。 33 ゴルゴタという所(「どくろ」と言われている場所)に来てから、 34 彼らはイエスに、苦みを混ぜたぶどう酒を飲ませようとした。イエスはそれをなめただけで、飲もうとはされなかった。 35 こうして、イエスを十字架につけてから、彼らはくじを引いて、イエスの着物を分け、 36 そこにすわって、イエスの見張りをした。 37 また、イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである」と書いた罪状書きを掲げた。 38 そのとき、イエスといっしょに、ふたりの強盗が、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけられた。 39 道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって、 40 言った。「神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。もし、神の子なら、自分を救ってみろ。十字架から降りて来い。」 41 同じように、祭司長たちも律法学者、長老たちといっしょになって、イエスをあざけって言った。 42 「彼は他人を救ったが、自分は救えない。イスラエルの王だ。今、十字架から降りてもらおうか。そうしたら、われわれは信じるから。 43 彼は神により頼んでいる。もし神のお気に入りなら、いま救っていただくがいい。『わたしは神の子だ』と言っているのだから。」 44 イエスといっしょに十字架につけられた強盗どもも、同じようにイエスをののしった。
[聖句メッセージ] 昨日の続きです。
27~29節
マタイの福音書26:24 『総督のピラトは、叫んだ。「この人、イエスの血については、私に責任はない。あとは自分たちで始末するがよい。」』
古代ローマ帝国のユダヤ属州のピラト総督は、無実なイエスが、ユダヤ人権力者たちの陰謀と策略により、罠に陥れられたことを知りました。 しかし、総督はユダヤ人権力者たちに、乗せられ踊らされた大群衆が暴徒化しそうなのを見て、仕方なく、イエスの件から手を引いたのでした。そして、イエスは全く無実であったのに、十字架の死刑に定められたのです。 以下は、全く無実な神の御子・イエスキリストの死刑による、世界人類の贖いが預言されていた聖書箇所です。
イザヤ書53:5 『彼は、私たち人間のそむきの罪のために刺し通され、私たち人間の咎のために砕かれた。主なる神は、私たち人類のすべての罪と咎を彼に負わせた。彼へのしいたげと、さばきによって、彼の命は取り去られた。』
イエスの十字架刑が決定すると、早速、ユダヤ人兵士たちは十字架の処刑の準備をし始めました。彼らは、まず処刑前のイエスを正装させてから、いばらの冠をかぶらせて、つばを吐き捨て、馬鹿にしたのです。 しかし主イエスは、人を救う愛の使命のために、自分を押し殺して黙り続け、祈り耐え続けていたのです。
30~37節
ローマ信徒への手紙1:16 『私は聖書の福音を恥とは思いません。神の福音は、世界中で信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力そのものなのです。』
Bibleは、主イエスの救いと真理や愛を伝えることは、時々、無知な人々からイエスのように誤解されることもありますが、人生で最高な神の栄誉、祝福だと教え説きます。胸に書き記すことです。
38~44節
ルカの福音書8:5~14 主イエスは、たとえを言われた。『種を蒔く人が種蒔きに出かけた。すると、種を蒔いている時、種はいばらの真ん中に落ちた。ところが、その種の実は、いばらもいっしょに生え出て、それを押しふさいでしまった。このたとえの意味はこうです。種は神のみことばです。いばらの中に落ちるとは、こういう人たちのことです。みことばを聞きはしたが、とかくしているうちに、この世の心づかいや、富や、快楽によってふさがれて、実が熟するまでにならない人たちのことです。』
第一テサロニケの手紙5:6,10 『あなたがたは、ほかの人々のように眠っていないで、霊の目をさまして、慎み深くしていきましょう。主イエスが私たちのために十字架上で死んでくださったのは、私たちの霊が目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。』
第一テモテの手紙1:18 使徒パウロ言った。『「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」というみことばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私も かつて、その罪人のかしらでした。』
神の御子イエスは、二人の極悪死刑囚と共に、十字架につけられて処刑されました。 Bibleは、主イエスは正しい人だけを救いに来られたのではなく、たとえ極悪人であったとしても、自らの罪や人生の過ちを反省できる、すべての人のために十字架上で、その身代わりに死んでくれたと、教え説くのです。 主イエスを信じる人は皆、昨日まで、たとえ、どんな極悪人であったとしても、差別なく救われるのです。 大切なのは、正しさよりも、神を信じようとする心のあり方なのです。
ローマ信徒への手紙8:1~2 『こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。』
マタイの福音書10:38 イエスは言われた。『自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。』
Bible&Jesusの十字架のみことばを信じて、イエスについて行こうとさえすれば、あなたの神様は、あなたの人生に多く現れて、助けて下さいます。 あなたの人生に現れる、主イエスの軌跡と奇跡に期待します。
AMEN
(祈り) 主なる神様、皆を聖霊に満たし、Bible&Jesusのみことば力と十字架力を悟らせてください。それさえ 悟れれば、皆の人生に主イエスの軌跡と奇跡が現れ出すからです! 主イエスのお名前で、期待して祈ります。AMEN!!!