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マタイの福音書26:1~5

2015年1月15日(木)

Jesus said 『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』 ディボーション聖句 マタイの福音書26:1~5 1 イエスは、これらの話をすべて終えると、弟子たちに言われた。

2 「あなたがたの知っているとおり、二日たつと過越の祭りになります。人の子は十字架につけられるために引き渡されます。」

3 そのころ、祭司長、民の長老たちは、カヤパという大祭司の家の庭に集まり、

4 イエスをだまして捕らえ、殺そうと相談した。

5 しかし、彼らは、「祭りの間はいけない。民衆の騒ぎが起こるといけないから」と話していた。

[聖句メッセージ] 本日からマタイの福音書は26章です。

1~2節

 『過越の祭り』とは、ユダヤ教の祭日の一つ。英語では'Passover'。

 尚、祭りの由来はかつてユダヤ人は、長い期間(神からの夢と預言を成就させた男・ヨセフの時代頃から十戒のモーセの時代)、強国エジプトの奴隷として虐げられるようになっていました。

 父なる神様は、神に選ばれしユダヤ人たちを哀れみ、当時80歳になっていたモーセを神の預言者、指導者に任命して、イスラエル人たちに不思議な御業を起こして守り、エジプトの支配から独立させて、新たな約束の地へと向かわせたのです。

 しかし、エジプトの王ファラオがこれを妨害しようとしたので、父なる神様は、敵国エジプトに対して10もの災いを与えたのです。その10番目の災いが...エジプト人と、その家畜に至るまでの「すべての初子を病死させる」という災いであったのでした。

 その時、神は、戸口に子羊の血の印をつけたユダヤ人の家だけには、災いを臨ませないと、モーセに預言させたました。

 この災いの過越こそが、ユダヤ人たちの『過越の祭り』の起源となったのです。つまり、過越の祭りとは 奴隷状態にあった、ユダヤ民族のエジプト脱出を記念する祭りであり、神が敵対者・エジプト中の初子を殺したとき,仔羊の血を門口に塗ったユダヤ人の家だけは、災いを過ぎ越させたという故に、過越の祭りと名付けられたのです。

  • 使徒の働き12:11『そのとき、使徒ペテロは言った。「今、確かにわかった。主は御使いを遣わして、敵・ ヘロデの手から、また、すべての敵対者たちが待ち構えていた すべての災いから、私たちを救い出してくださったのだ。」』

 このようにBibleは...主イエスの十字架上の血潮の贖いを信じた あなたに、敵の災いは及ばないと約束してくれます。主イエスを信じた あなたは、見えずとも、いつも、天の御使いたちから守られていると、教え説くのです。

主イエスの十字架を信じる者に、災いは訪れません。ただ、そう信じることが大切です。

3~5節

  • ヨハネの福音書7:7 主イエスは言われた。『この世は、わたしを憎んでいます。わたしが、世について、その行いが悪いことをあかしするからです。』

  • ルカの福音書16:15 『イエスはパリサイ派の律法学者と政治家たちに言われた。「あなたがたは、人の前で自分を正しいとする者です。しかし神は、あなたがたの心のすべてをご存じです。人間の間であがめられるものは、神の前で憎まれ、きらわれるのです。」

  • ヨハネの福音書3:20 『悪いことをする者は皆、神の光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、神の光のほうには来ません。』

  • ヤコブの手紙5:16 『ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。』

 このようにBibleは、自分は正しく、常に潔白だと自己宣伝する人々ほど、多くの罪と過ちを隠し持っている、愚かな人々であると教え説きます。

 また聖書は、自分には主イエスの十字架の贖いが必要だと、自らの足りなさと神の存在を認められる人ほど、神が認める正しさと謙遜を持つ、真の知者、義人だと教え説くのです。

 人は皆、過ちを犯しやすく、誰にでも限界があるもの。格好つけ過ぎたり、自分をよく見せようとばかりせずに、己の弱さと足りなさも受け入れるべきなのです。

 しかし、当時のユダヤの政治家、宗教指導者、学者たちは、自らの足りなさと過ちや限界を認めるどころか、逆に主イエスの指摘に腹を立てるばかりで、主イエスを罠にかけて、殺そうと計画したのです。

  • ローマ信徒への手紙12:10 『神に選ばれた あなたがたは、兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。』

 このようにBibleは、周囲の人を、自分よりも賢く、優っていると思える人ほど、賢く、大きな器だと教え説きます。

 もし、あなたが神を味方につけたいのならば、必要以上の競争意識やこだわりとプライド意識を持たぬことが重要なのです。

 あなたの人間関係に現れる、他者を敬愛出来る、謙遜な態度に期待します。

 AMEN

(祈り)  主なる神様、皆を聖霊に満たし、必要以上の競争心、プライド意識から開放させて下さい。そうすれば 皆、もっと他者を敬愛できる 謙遜さを手に入れられながら、主イエスのような大きな器ともなれるからです!

 主イエスのお名前で、期待して祈ります。AMEN!!!

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