top of page
  • 執筆者の写真sgbc-devotion

マタイの福音書24:32~36

2015年1月10日(土)

Bible said 『主の教えを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ人は、何をしても栄える』 『心を尽くして主に拠り頼め。 自分の悟りにたよるな』 『幸いなことよ。神の知恵を見いだす人は』 ディボーション聖句 マタイの福音書24:32~36 32 いちじくの木から、たとえを学びなさい。枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります。 33 そのように、これらのことのすべてを見たら、あなたがたは、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。 34 まことに、あなたがたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。 35 この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。 36 ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。 [聖句メッセージ] 昨日の続きです。

32節

・マタイの福音書7:15~17

 主イエスは言われた。

 『にせ者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。

 あなたがたは、人生の実によって彼らを見分けることができます。ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。

 同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。』  このようにBible&Jesusは、人生とは、まるで植物の成長のようであり、人は皆、日々の思考と行動の種蒔きや その積み重ね通り、いつの日か、その人生の実を刈り取ることになると、教え説きます。  またBibleは、どんなに人前で、神のみことばにかなう善人、正義の人を演じれたとしても、そして、敬虔で愛に満ちた、優しい人のフリをしたとしても、その人の人生の実は、嘘、偽りをつけないと教え説くのです。

 神に選ばれしクリスチャンも、日々の思考と生活習慣の実で、本当に隣人愛に満ちた信仰深い人なのか。それとも、二心で、ズル賢い偽善者なのか。

 生き様の伴った本物の信仰なのか。それとも、口先と見せかけの形式的な信仰なのか。

 Bibleは、その人の人生の実で判断することができると、教え説きます。  昨今の自分自身の人生の実を 再確認して、思い巡らしながら、祈り調整することです。

32~36節

 では、主イエスが語られた いちじくのたとえ話について解き明かしましょう。

・ルカの福音書13:6~9 

 イエスはいちじくの木のたとえを話された。

 「ある人が、ぶどう園にいちじくの木を植えておいた。実を取りに来たが、何も見つからなかった。そこで、ぶどう園の番人に言った。『見なさい。三年もの間、やって来ては、このいちじくの実のなるのを待っているのに、なっていたためしがない。これを切り倒してしまいなさい。何のために土地をふさいでいるのですか。』

 番人は答えて言った。『ご主人。どうか、ことし一年そのままにしてやってください。木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。もしそれで来年、実を結べばよし、それでもだめなら、切り倒してください。』」

 このいちじくの木とは、神に造られた 私たち人間のたとえであり、番人とは神の協力者(聖職者)、預言者、天使たちのことです。  創造主なる神は、この世界に沢山の生命とその人生を、隣人に良い恵みを与えられる いちじくの木のようになるように、植えつけられました。そして、父なる神様は 人々に、神の協力者と預言者たちを通して語られる、真理なるみことばと祈りの栄養を送りつづけ、神に従い、立ち返るようにと、教え続けようとしたのです。  しかし、結局 彼らは、神の権威と神の預言者からのみことばの栄養を拒んだために、神の御力と人を救う説得力と愛に満ちた良い実の人生を送れず、個々の欲望と恐れに支配された 人を救えない、悪いいちじくの木のような人生となったのです。

 聖書は、この悪い いちじくの木の象徴である パリサイ人たちのように、Bible&Jesusから3~4年もの間、何度も何度も、同じみことばを受けても、悔い改めるようとしない人は、いつの日か、パリサイ人たちのように、神の国から切り倒されるとも預言しています。  もし、あなたに夢やビジョンがあるのならば、神のみことばを無視することに慣れないことです。

35~36節

 パリサイ人たちは 3~4年間、みことばを無視し続けてしまい、同じ罪と過ちを まったく悔い改めなかったために、神の国から切り倒されるべき、悪いいちじくの木としてカウントされて、世界人類の滅びの象徴のように比喩されてしまったのです。

  • マタイの福音書7:20~21 主イエスは言われた。『こういうわけで、あなたがたは、人生の実によって人々を見分けることができるのです。わたしに向かって、「主よ、主よ」と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみことばを行う者が入るのです。』

 あなたはパリサイ人達のように、何度も何度も、みことばを行うことを怠っていませんでしたか? 神の奇跡と御力溢れる「Jesus信仰」とは、主イエスのように、ただシンプルに、日々のみことばを大切に行うことなのです。  あなたの生活習慣と人間関係に現れるみことば力に期待します。

 AMEN

(祈り)  主なる神様、皆を聖霊に満たし、何よりも、日々のBibleメッセージとHolySpiritを大切に生きられるようにして下さい。そうすれば 皆、隣人を救い出したり、更に、素晴らしい良い実を結べる人生を築けるからです!  主イエスのお名前で期待して祈ります。AMEN!!!

閲覧数:5回0件のコメント

最新記事

すべて表示

ヨハネの福音書7:14~18

2020年2月23日(日) ディボーション聖句 ヨハネの福音書7:14~18 14 しかし、祭りもすでに中ごろになったとき、イエスは宮に上って教え始められた。 15 ユダヤ人たちは驚いて言った。「この人は正規に学んだことがないのに、どうして学問があるのか。」 16 そこでイエスは彼らに答えて言われた。「わたしの教えは、わたしのものではなく、わたしを遣わした方のものです。 17 だれでも神

ヨハネの福音書7:10~13

2020年2月22日(土) ディボーション聖句  ヨハネの福音書7:10~13 10 しかし、兄弟たちが仮庵の祭りに上ったとき、イエスご自身も、公にではなく、いわば内密に上って行かれた。 11 ユダヤ人たちは、祭りのとき、「あの方はどこにおられるのか」と言って、イエスを捜していた。 12 そして群衆の間には、イエスについて、いろいろとひそひそ話がされていた。「良い人だ」と言う者もあり、「

bottom of page