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マタイの福音書22:34~46

2015年1月2日(金)

Jesus said 『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』 ディボーション聖句 マタイの福音書22:34~46 34 しかし、パリサイ人たちは、イエスがサドカイ人たちを黙らせたと聞いて、いっしょに集まった。 35 そして、彼らのうちのひとりの律法の専門家が、イエスをためそうとして、尋ねた。 36 「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」 37 そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』 38 これがたいせつな第一の戒めです。 39 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。 40 律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」 41 パリサイ人たちが集まっているときに、イエスは彼らに尋ねて言われた。 42 「あなたがたは、キリストについて、どう思いますか。彼はだれの子ですか。」彼らはイエスに言った。「ダビデの子です。」 43 イエスは彼らに言われた。「それでは、どうしてダビデは、御霊によって、彼を主と呼び、 44 『主は私の主に言われた。「わたしがあなたの敵をあなたの足の下に従わせるまでは、わたしの右の座に着いていなさい。」』と言っているのですか。 45 ダビデがキリストを主と呼んでいるのなら、どうして彼はダビデの子なのでしょう。」 46 それで、だれもイエスに一言も答えることができなかった。また、その日以来、もはやだれも、イエスにあえて質問をする者はなかった。 [聖句メッセージ] 本日でマタイの福音書22章は終わりです。 34節

 『パリサイ派』と『サドカイ派』は、当時のユダヤ教の中でも、1番と2番の人気を誇る宗派でした。また両者は、いつも敵対し合っておりましたが、当時のユダヤ人たちの有力者たちは、このどちらかの宗派に属していたのです。  尚、パリサイ派とサドカイ派は、おもに聖書解釈の違いで論争しておりました。

  • 第二テモテの手紙2:14 『みことばについての論争などしないように、神の御前できびしく命じなさい。』

  • テトスの手紙3:9 『愚かな議論、人々の系図、口論、聖書の律法についての論争などを避けなさい。それらは無益で、むだなものです。』

  • エペソの手紙4:2~5 『互いに謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。神の教会のからだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。主は一つ、信仰は一つ、バプテスマ(洗礼)は一つです。』

 このようにBibleは、神に選ばれし人々(教会)は、一つ心を目指すべきであり、聖書のみことば解釈についても互いの一致を測り合いながら、同じ聖霊を受けた者同士、いつも受け入れ合い、決して論争したり分派しないように注意するすべきだと、教え説いています。 しかし、このパリサイ派とサドカイ派は、互いに信仰があると強調していながら、いつも頑なであり、決して派閥形成をやめませんでした。  あなたは、みことばを軸にしながら教会のJesusFamilyや、属している組織の人々と一致を計れていますか?  聖書は、個人プレイや一致を計るフリだけでは、神の大きな報いと奇跡はあり得ないと、ハッキリ教え説いています。虚しい信仰生活を続けたくないのならば、みことばで一致し合うことにベストを尽くすことです。  尚、サドカイ派の人々は、霊魂の不滅や死者の復活、天使の存在を信じられず、主イエスの教えとパリサイ派の教えに反発していたのです。

  • 第二テモテの手紙3:16 『聖書はすべて、神の霊感により書かれたものであり、人生の教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。』

 このようにBibleは、聖書の全てのみことばは神の霊感で書かれているので、それを否定する人は皆、神と敵対する人生を歩むことになると、ハッキリ教え説きます。それゆえ、サドカイ派は、この後すぐに消えてなくなったのです。

 しかし、Bible&Jesusを そのまま信じる者は 必ず報われます。

35節

 サドカイ派の人々が、主イエスのBibleメッセージでやり込められた噂を聞きつけた、パリサイ派の聖書と法律の専門家(律法学者)たちは、まるで競い合うように、主イエスに難問をぶつけにきました、

36節

 パリサイ派の律法学者たちは、主イエスにこう質問したのです。  「イエス先生、この分厚い聖書のみことばの中で、一番大切な戒めはどこでしょうか?」

37~38節

 主イエスはこう答えました。  「いつ、どんな時も、神との相思相愛関係を目指しながら生活することが 何よりも大切なことであり、いつも、みことばを思考しながら生きることが、人生で何よりの益となれる道です。」

39~40節

 また主イエスは、ことばを付け足しました。

 「そして、自分を大切にしながらも、常に周囲の人々を見渡す余裕を持ち、他人のことを自分のように気配りして、人を救い、励まし、真理を伝える、愛ある行動と言動が大切なのです。」  このように主イエスは「愛」こそが、Bible&Jesusの教えている神信仰の基盤だと、教え説いたのです。 聖書の教えるJesus信仰の基盤は、敬虔な宗教心ではなく、情熱的な人を救う愛力(神愛、家族愛、友愛)なのです。胸に書き記して下さい。

41節

 主イエスは、パリサイ人達に質問をしました。

 「では神様が、旧約聖書で預言している人類の救い主とは、どこの誰から生まれると思いますか?」

42節

  • ミカ書5:2 神様は救い主イエス・キリストの預言をされた。『ダビデの町ベツレヘムよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者となる救い主が出る。その出ることは、永遠の昔からの神の定めである。』

 パリサイ人たちは答えました。  「ダピデの子孫から救い主は生まれ出ます。」

43~46節

 主イエスは質問を深めた。  「しかしダビデ王は、旧約聖書で、救い主に対して「わたしの主」と祈りながら、賛美しています。ではなぜ、彼の子孫から、その救い主が生まれると、思うのですか?救い主である神様が、ダピデ王の子孫から生まれるとは、いったい、どういうことですか?説明してみなさい。」  しかし、優秀で権力のあったパリサイ人たちは、そのみことばを解き明かせませんでした。  もし あなたに神の助けや奇跡が必要ならば、パリサイ人たちのようにみことばを知ったかぶりせずに、謙遜に、Bibleメッセージを聞く姿勢を大切にすることです。

  • ルカの福音書2:11 『ダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主イエスキリストです。』

  • 第一ヨハネの手紙5:5 『世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。』

  • 第一ヨハネの手紙4:15 『だれでも、主イエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。』

  • マタイの福音書20:16 主イエスは言われた。『このように、あとの者が先になり、先の者があとになるものです。』

 パリサイ人たちは、人類の救い主が神の御子として、普通の人(マリヤ)から生まれ出ることを、聖書から読み取れなかったのです。  このようにBibleは、後の者が先になり、先の者が後になることが 多々あると預言しています。主イエスを味方につけた、あなたの人生には逆転が付きモノなのです。  あなたの人生に現れる、逆転人生に期待します。

 AMEN

(祈り)  主なる神様、皆を聖霊に満たして、Bibleのみことばから超常識的な神の摂理と真理を悟らせて下さい。そうすれば、皆に感動的な逆転人生が現れ出すからです!

 主イエスのお名前で期待して祈ります。AMEN!!!

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