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マタイの福音書21:28~32

2014年12月28日(日)

GOD said 『神は愛です』 『主のしもべは栄える』 『あなたは癒された』 『愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい』

ディボーション聖句

マタイの福音書21:28~32 28 ところで、あなたがたは、どう思いますか。ある人にふたりの息子がいた。その人は兄のところに来て、「きょう、ぶどう園に行って働いてくれ」と言った。 29 兄は答えて『行きます。お父さん』と言ったが、行かなかった。 30 それから、弟のところに来て、同じように言った。ところが、弟は答えて『行きたくありません』と言ったが、あとから悪かったと思って出かけて行った。 31 ふたりのうちどちらが、父の願ったとおりにしたのでしょう。」彼らは言った。「あとの者です。」イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。取税人や遊女たちのほうが、あなたがたより先に神の国に入っているのです。 32 というのは、あなたがたは、ヨハネが義の道を持って来たのに、彼を信じなかった。しかし、取税人や遊女たちは彼を信じたからです。しかもあなたがたは、それを見ながら、あとになって悔いることもせず、彼を信じなかったのです。」

[聖句メッセージ]

昨日の続きです。

28~30節

  • マタイの福音書13:9~13 『主イエスは言われた。「耳のある者はよく聞きなさい。」すると、弟子たちが近寄って来て、イエスに言った。「なぜ、彼らにたとえでお話しになったのですか。」イエスは答えて言われた。「あなたがたには、天の御国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていません。というのは、持っている者はさらに与えられて豊かになり、持たない者は持っているものまでも取り上げられてしまうからです。わたしが彼らにたとえで話すのは、彼らは見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、また、悟ることもしないからです。」

  • 第一サムエル記16:7 『主は仰せられた。「彼の容貌や、背の高さ、見せかけを見てはならない。わたしは彼らを退けている。なぜなら、主は人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」』

 このように人は皆、人の容姿、持ち物、知名度、役職の高さや、自分への態度ばかりを気にし過ぎて、他人を評価します。しかし、主なる神様は、人の心の奥底、物事の動機や生き様、ライフスタイル全体を見て評価されるのです。  聖書は、人は皆、神の御前で、いくら 取りつくろっても、その隠された闇と罪悪は、やがて、その人の人生の実として表面化されてしまうと教え説きます。Bibleの真理と向き合い、極力、取りつくろうことを止めてみることです。  またBibleは、神の御前で自らの短所や足りなさを受けとめて謙遜になり、自らの過ちを素直に改められる人の心にしか、神の国の奥義と、人生と死の隠された秘密を明かさないように、たとえ話が多く書かれていると説きます。この聖書のたとえから、神の奥義と人生と死の隠された秘密を悟れる者が永遠の勝ち組への道だと教え説いているのです。 求め、探し続けられる人にだけ、永遠の勝利の道は与えられます。ただ、期待することです

 今日の聖句も、主イエスのたとえ話になります。

 創造主である父なる神様は、2人の愛する神の子たちに言いました。「さあ、わたし(神)の子どもたちよ、今からわたしが それぞれ遣わす場所に行きなさい。そして,あなたたちが関わる全ての人間関係と組織でわたしのみことばから、人生の真理と神の国の奥義と死の秘密を宣べ伝え、証しして来なさい。」

 そして、神の子のの方が言いました。「Amen! 父なる神よ。一人でも多く救ってあげたいです。では、いってきます。」

 しかし、兄は口先だけの宗教の人でした。

  • 第一ヨハネの手紙4:18 『真の愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れを持つ人の愛には刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。』

 兄には立派な宗教と口先だけの愛はありましたが、主イエスの十字架の愛の意味をよく理解できず、また人をゆるす愛力に乏しかったので、神の働きや救霊する勇気が持てなかったのです。 聖書は、主イエスの十字架上の愛のおかげで、もう、すでにあなたの霊は永遠の神の国に移されたと、約束してくれます。したがって、この主イエスの愛を悟った人は皆、この世の人生だけに束縛される必要などないのです。

 目を醒まして、思い切って恐れを捨て去るです。聖書で、愛とは、口先の言葉ではなく、一切の人生での恐れを捨てて、愛を行動に起こす「生き様」と、その情熱的なスピリットだと、教え説いているからです。  主イエスの十字架の愛から、真の愛に目覚めることです。

  • ローマ信徒への手紙5:5 『イエスの希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。』

 このように、主イエスの十字架の命がけの愛とHolySpiritは、あなたにも注がれているので、みことばを握りしめて、ただ、前に踏み出す勇気さえ出せれば、良いだけなのです。

  • マタイの福音書24:12 主イエスは預言した。『みことばを守らない不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。』

 次に、の方は こう言いました。  「父なる神よ!Amen.とは言えません。他人に神の奥義と真理を教え伝えても、伝わらないような頑固で無知な人ばかりでしょうし、私は人を救うほど人を愛せていません。」  弟は、経済や利便性、個々の自分勝手な快楽ばかり追っている、愛に冷えたこの世界の現状に、影響され過ぎていたので、行くことをためらいました。  しかし、弟は正直でした。

  • ルカの福音書25:37~39 『そこで、イエスは言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これが一番たいせつな戒めです。そして『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。」

  • ヨハネの福音書14:15 主イエスは言われた。『しかし、もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしのみことばの戒めを守るはずです。』

 しかし結局、弟は、父なる神と仲間を 何よりも大切に考えていたので、恐れに打ち勝ち、すぐに素直に悔い改めて、神の愛と人を救う働きに出かけられたのです。

は、みことばをよく知っていて、形式的な信仰を持っており、宗教儀式には詳しく長けていましたが、の方は、正直さと、実践的なみことば信仰と人を救う愛を大切にしていたのです。  あなたは、どちらのタイプでしょうか?

31節

 主イエスは、みことばをよく知っていても、いつも他人を批評したり、人のせいにばかりしていた、行いの乏しい律法学者たちに、こう質問しました。「では、この二人の兄弟のうち、父なる神の御心と願いを遂げた、正しい人とはどちらですか?」

 律法学者たちは即答しました。「すぐに思い直して、みことばと愛を実践した弟に決まっています。」

32~33節

 主イエスは、その律法学者たちに厳かに言われました。  「あなたがたは、いつもみことばを学び聞かされているが、意味のない宗教評論家に成り下がっており、結局は、弱者や滅び行く魂をただ見殺してにしています。あなたがたは、神のみことばや命令を よく知っていながらも、それをほぼ無視し続けているからです。目を醒ましなさい。  しかし、わたしの周りにいる お金に汚い取税人や、清さに程遠い遊女たちは、聖書の預言者(ヨハネ)たちの言葉に真心から悔い改めており、自らの心と行いの悪さを嘆き、悲しみ、わたしの教会に来て、本気で罪のゆるしと悔い改めるチャンスを求めに、祈りに来ているのです。よーく、考えてみることです。  ですから、あなたがたよりも、彼らの方が神の国に近く、清い者たちなのです。」

 あなたの現状は、律法学者寄りですか?  それとも、取税人と遊女寄りですか?  それをまず、探ることが大切です。なぜなら、あなたの父なる神はあなたの心の奥底を見ているからなのです。

  • ヤコブの手紙5:16 『あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。そういう義人の祈りは働くと、大きな力があります。』

 神の認める主イエスような義人とは、一体何なのか? 今こそ、十字架を思い巡らしながら探すことです。

 あなたの生き様に現れる、主イエスのように山をも動かせる 義人の姿に期待します。

 AMEN

(祈り)  主なる神様、皆を聖霊に満たし、Bibleのみことばのたとえを悟らせて、イエスに似た義人にして下さい。そうすれば 皆に、山をも動かせるほどの信仰力が備わり出すからです!

 主イエスのお名前で、期待して祈ります。AMEN!!!

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