2014年12月26日(金)
Jesus said 『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』
『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』 ディボーション聖句 マタイの福音書21:9~13
9 そして、群衆は、イエスの前を行く者も、あとに従う者も、こう言って叫んでいた。「ダビデの子にホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。ホサナ。いと高き所に。」
10 こうして、イエスがエルサレムに入られると、都中がこぞって騒ぎ立ち、「この方は、どういう方なのか」と言った。
11 群衆は、「この方は、ガリラヤのナザレの、預言者イエスだ」と言った。
12 それから、イエスは宮に入って、宮の中で売り買いする者たちをみな追い出し、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒された。
13 そして彼らに言われた。「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる』と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている。」
[聖句メッセージ]
昨日の続きです。
9節
『ダビデの子にホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。ホサナ。いと高き所に。』
このように神に選ばれし、主イエスの弟子たちとJesusFamilyは賛美歌を歌いながら、ロバの子に乗った主イエスと共に、エルサレムまで行進しました。『ホサナ』とは、ヒブル(ヘブライ)語の言葉で「神よ、お救いください」の意味。おもに、神への賛美歌や嘆願の祈りの中で用いられる言葉です。
詩篇96:4~5 『まことに創造主は大いなる方、大いに賛美されるべき方。主はすべての神々にまさって恐れられるお方だ。まことに、国々の民の神々はみな、むなしい。しかし創造主は天地万物をお造りになったお方。』
詩篇100:4 『主なる神様に感謝しつつ、主の門に、 賛美しつつ、その大庭に、入れ。 そして主に感謝し、御名をほめうたえ。』
詩篇149:1 『ハレルヤ。 主に新しい歌を歌え。 聖徒の集まりで主への賛美を。』
詩篇150:6 『生きていて、息のあるものは皆、主をほめうたえ。ハレルヤ。』
このようにBibleは...人は皆、神を褒め歌うために造られており、神を賛美すれば、その人の心霊体は清められ、神様に近づくこともできると教え説きます。だから、主イエスの教会では賛美歌を歌うのです。
10節
第一ヨハネの手紙4:15 『だれでも、主イエスを神の御子と告白して賛美するのなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。』
このように聖書は、もし あなたが主イエスを神の御子「救い主」だと、人前で告白して、賛美できるのなら、あなたの心霊には神の御霊「聖霊」が住んで下さると約束してくれています。もう、あなたは一人ではないということです。そして祈りとは、あなたの内なる心霊に住まわれる聖霊との親しき交わり、会話になるのです。
聖地エルサレムの人々は、12弟子たちと多くの人々が、ロバに乗っているイエスを神のように崇めて、褒め歌う姿を見せられ、騒ぎ立てました。そして、エルサレムの人々は言いました。
「あの青年イエスは、救い主だと賛美されながら、神のように褒め歌われながら行進しているが、一体、何者なのだろう?本当に神の救い主なのだろうか?」
11節
マタイの福音書5:17~18 主イエスは言われた。『わたしが来たのは聖書の律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、すべて成就するために来たのです。まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、聖書の律法と預言の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。』
主イエスと共に行進して来た群衆は、エルサレムの人々にこう証ししました。
「このお方は、旧約聖書の預言している世界人類の救い主であり、神のみことばのご計画を成就させる預言者、ナザレのイエス様だ!」
ルカの福音書21:13~15 主イエスは言われた。『あなたがたには、キリストをあかしをする機会があります。それで、どう証しして弁明するかは、あらかじめ考えないことに、心を定めておきなさい。どんな反対者も、反論もできず、反証もできないようなみことばと知恵のことばを、わたしがあなたがたに与えるからです。』
このようにBible&Jesusは、あなたは救い主イエスのみことばと十字架の救いを証しするために、神様に選ばれたと、ハッキリ教え説きます。この使命を胸に書き記すことです。
ヤコブの手紙2:17 『信仰も、もし行いがなかったなら、それだけでは、死んだものです。』
またBibleは、主イエスのみことばとその救いを証し伝えなければ、与えられたHolySpiritは、だんだんと衰え死んでいき、未信徒の人たちと全く変わりばえなくなるとも、忠告しています。
もし、あなたに救われて欲しい大切な仲間や、どうしても叶えたい願い事があるのなら、決して、周囲の人々に証し伝えることを怠らないことです。今できなくとも、本気で祈り備えれば良いのです。聖書で教える真のクリスチャンとは、人を救い漁る漁師であり、周囲の人々に証し伝えられなければ、ただの的外れで、力のないクリスチャンでしかないと、厳かに説くからです。
聖地エルサレムに到着した主イエスご一行は、まず、神を礼拝する神殿に向かわれました。
なお、その神殿内の道中は、仲見世通りのようであり、数々の両替屋や鳩売りの出店がありました。神殿で両替がされたり、鳩が売られていたりするのには、理由がありました。当時、神殿に献金をするのには、人々が日常使っている貨幣を用いることはできず、特別のコインで献げなければならなかったのです。ですから、神殿に礼拝にきた人々は、まず両替の店で、神殿公認の特別のコインを買い求めなければならなかったのです。
また、鳩は、神への捧げ物として、旧約聖書の律法で定められた犠牲用の動物のひとつでした。正式には、羊などをささげるよう定められていたのですが、貧しくてそれが できない人は皆、鳩の命を犠牲のお供え物とてお捧げしていたのです。
しかし、主イエスを信じたあなたには、犠牲に捧げる動物や、おはらい、供え物などの必要はありません。なぜなら、主イエスがそのすべての役割りを引き受けて、十字架について血を流して、贖罪されたからです。
主イエスを信じる者は、ただ それだけで清められて、救われるのです。胸に書き記して下さい。
12~13節
そして主イエスは、神殿の敷地で大儲けしていた、両替屋や鳩売りの店の屋台を次々に倒してこう言い放ちました。
「神殿とは、清い神の家であり、何よりもまず、祈りの家でなければならない。それなのに、あなたがたは、それを忘れて、商売に精を出し過ぎている。目を醒ましなさい!」
このように主イエスは、Bibleのみことばと向き合い 祈る時くらいは、お金・仕事・衣食住のことは、一切 忘れて、霊とまことを持って礼拝することが、何よりも重要だと教え説いたのです。
あなたの生活習慣に表れる、神と周囲の人々を感動させる、本物の生きたクリスチャンLIFEに期待します。
AMEN
(祈り)
主なる神様、皆を聖霊に満たし、真心からBibleのみことばと向きあい、霊とまことを持って 礼拝、賛美、救霊、祈れる者たちにして下さい。そうすれば 皆に、神の感動的な奇跡と御業を引き出せるからです!
主イエスのお名前で期待して祈ります。AMEN!!!