2014年12月13日(日)
GOD said 『あなたは癒された』
『愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい』
『神は愛です』
『主のしもべは栄える』 ディボーション聖句 マタイの福音書17:22〜27
22 彼らがガリラヤに集まっていたとき、イエスは彼らに言われた。「人の子は、いまに人々の手に渡されます。
23 そして彼らに殺されるが、三日目によみがえります。」すると、彼らは非常に悲しんだ。
24 また、彼らがカペナウムに来たとき、宮の納入金を集める人たちが、ペテロのところに来て言った。「あなたがたの先生は、宮の納入金を納めないのですか。」
25 彼は「納めます」と言って、家に入ると、先にイエスのほうからこう言い出された。「シモン。どう思いますか。世の王たちはだれから税や貢を取り立てますか。自分の子どもたちからですか、それともほかの人たちからですか。」
26 ペテロが「ほかの人たちからです」と言うと、イエスは言われた。「では、子どもたちにはその義務がないのです。
27 しかし、彼らにつまずきを与えないために、湖に行って釣りをして、最初に釣れた魚を取りなさい。その口をあけるとスタテル一枚が見つかるから、それを取って、わたしとあなたとの分として納めなさい。」
[聖句メッセージ]
本日でマタイ福音書17章は終わりです。
22節
『ガリラヤ』とはパレスチナ地方の地名であり、ガリラヤ湖を含む、現在のイスラエル国・北部の地域とヨルダン共和国の一部の地域を指します。尚、主イエスキリストの福音宣教は、このガリラヤから始められており、主イエスキリストは宣教の基地を このガリラヤの町に置いていたのです。
この大切な国・日本では、いったい、どこの都市からスケールの大きい神の奇跡と、イエスのリバイバルのご計画が現れ出すのか、楽しみに期待することです。ただ期待して、待ち望む人の多い町から神の大いなる御業が現れ出すからです。
ヨハネの福音書3:15~17 主イエスは言われた。『神は、実に、そのひとり子イエスをお与えになったほどに、この世を愛された。それは御子イエスを信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子イエスによって世が救われるためである。』
このように、世界人類の創造主なる神様は、たとえ あなたが、どんな罪や過ちを犯したとしても、父なる神様にゆるされて 永遠の人生を獲得できるために、救い主・イエスを送られました。そして、その神に等しい命を 十字架上で捧げられたのです。
23節
第一コリントの手紙1:18 『十字架のみことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。』
第一ヨハネの手紙4:16 『主イエスを信じた私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。』
このように、神の父なる愛と主イエスの十字架力を信じる人は皆、永遠に贖われ続けるのです。
ヨハネの福音書14:2~3 主イエスは言われた。『わたしの父なる神の国の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに家と場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをも永遠におらせるためです。』
ヨハネの福音書11:25 『イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」』
使徒の働き1:9 『こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に天に引き上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。』
このように主イエスは、あなたの死後、必ず、永遠の神の国に迎え入れてくれると、約束してくれました。主イエスに贖われた あなたの死は、神の国での永遠の人生の始まりを意味するのです。信じるか、信じられないかはあなたの選択次第です。しかし、主イエスを信じる者の人生だけに、永遠は訪れるのです。
24~25節
マラキ書3:10 神は言われた。『あなたの収穫の十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家に捧げてみよ。こうしてわたしをためしてみよ。――万軍の主は仰せられる――そして、わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。』
マタイの福音書6:20 主イエスは言われた。『自分の宝は、天にもたくわえなさい。』
このように聖書は、Bible&Jesusの救霊と人命救助の愛のために、神の家「教会」などに献金や献品をして、天に宝を積むように教え勧めます。その行為は、天に宝を積む行為に数えられ、神のいく倍もの報いを受けられるとも、約束するのです。
これも信じるか、信じられないかはあなた次第。しかし、資本主義社会で生きる限り、主の愛の労にも、ある程度の経済力は必要です。主イエスは、愛の投資による、生きたお金の使い道を教えられたのです。
また、私もBible&Jesusを信じて、教会での給与は全額 献金させて頂いています。なぜなら神様は、私の他の事業を通して、必ず、報いて下さると信じるからです。
25~26節
民数記18:8 『主はそれから、祭司アロンに仰せられた。「今、わたしは、わたしへの聖徒からの奉納物にかかわる任務をあなたに与える。わたしは神の民のすべての聖なるささげ物についてこれをあなたに、またあなたの子たちとに、受ける分として与え、永遠の分け前とする。また次の物もあなたの分となる。イスラエル人の贈り物である奉納物、彼らのすべての奉献物、これをわたしはあなたとあなたの息子たち、それにあなたとともにいる娘たちに与えて、永遠の分け前とする。あなたの家にいるきよい者はみな、それを使い、食べることができる。」
このように旧約聖書は、神に選ばれし聖徒たちの献金と献品によって、聖職者とその家族たちの生活が成り立っていたと、教え説きます。聖職者たちとその家族は直接、神の労に仕えるために、献金と献品はせずに、献金と献品から給与を受け取るシステムであったということです。
26~27節
ヨハネの福音書3:35『父なる神は御子イエスを愛しておられ、天地万物を御子イエスの手にお渡しになられた。』
主イエスは父なる神の御子そのものであり、また、みことばを教える聖職でもあった為、この時は 献金を治める必要はなかったのですが、周囲のすべての人々に生き様をもって、天に宝を積むことの大切さを教え説くために、あえて献金を治めたのです。
マルコの福音書4:19 主イエスは言われた。『世の心づかいや、富の惑わし、その他いろいろな欲望が入り込んでいる人は、みことばを悟り行えないため、実を結べません。』
主イエスはある程度の財力や成功欲は、人生に必要な糧となり得ますが、あまりに多くの時間と労力を使ってまで、それらを追いかけ過ぎると、神の聖霊力や幸福力、愛力を引き下げると、ハッキリ教え説きます。
日々のみことばを思考しながら、今、あなたにとって、本当に大切な物事と、優先順位の上位とは、一体何なのか?生活のバランスはどうか?今、何をすべきか?を...心深く探りながら、生きることが大切だと説くのです。
あなたに示される、今、本当に大切な物事と、今やるべき、正しい優先順位に期待します。
AMEN
(祈り)
主なる神様、皆を聖霊に満たし、日々、与えられている富や欲望を 正しく治めさせ、本当に生きたお金と時間を使える者たちにして下さい。そして 主よ、皆に 今 何を考え、何をすべきか、正しい優先順位を示してください。お願いします。そうすれば 皆に、神の素晴らしい報いと幸運力が増し加わるからです!
主イエスのお名前で期待して祈ります。AMEN!!!