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マタイの福音書16:21~28 

2014年12月10日(水)

Bible said 『心を尽くして主に拠り頼め. 自分の悟りに頼るな』 『幸いなことよ。神の知恵を見いだす人は』 『主の教えを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ人は、何をしても栄える』 ディボーション聖句 マタイの福音書16:21~28 21その時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた。 22するとペテロは、イエスを引き寄せて、いさめ始めた。「主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずはありません。」 23しかし、イエスは振り向いて、ペテロに言われた。「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」 24それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。 25いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。 26人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。 27人の子は父の栄光を帯びて、御使いたちとともに、やがて来ようとしているのです。その時には、おのおのその行いに応じて報いをします。 28まことに、あなたがたに告げます。ここに立っている人々の中には、人の子が御国とともに来るのを見るまでは、決して死を味わわない人々がいます。」 [聖句メッセージ] 本日でマタイの福音書16章は終わりです。 21節

 なぜ、主イエスは十字架上で死なれたのに、今も世界中で救い主とされており、この遠い国・日本でもXmasの主役であり続けているのか、Bibleから探っていきましょう。  以下の聖句は、世界人類の救い主・イエスキリストの十字架による人類への救い、癒し、永遠の神のご計画と約束が、預言されていた旧約聖書「イザヤ書」のみことばです。

  • イザヤ書53:5~8,10~12 『彼は、私たち人間のそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされる。私たちはみな、羊のように人生をさまよい、おのおの、自分勝手な道に向かって行った。しかし、主なる神は、私たちのすべての罪、咎を彼に負わせられた。彼は私たち人間のために痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かずに贖ってくれた。彼は私たち人間のしいたげと、神のさばきによって、命を取り去られた。しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを私たちの罪過のためのいけにえとするなら、彼は永遠に、神の子孫たちを見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、永遠に満足する。神の正しいしもべは、みことばの知識によって多くの人を義とし、彼を信じている わたしたちの罪、咎を担ってくれる。それゆえ、彼が自分のいのちを死に明け渡し、神にそむいた人たちとともに数えられたからである。しかし、彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをしてくれる。』

  • ヘブル人への手紙9:27~28 『人間には、一度死ぬことと死後に神のさばきを受けることが定まっているように、イエスキリストもは、多くの人の罪、咎を贖うために一度、ご自身の命をささげられましたが、次は、人々の罪を負うためではなく、彼を信じて待ち望んでいる人々の永遠の救いのために戻って来られるのです。』

  • ローマ信徒への手紙3:10 『それは、次のように聖書に書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。」』

 このようにBibleは、多くの人々は自分勝手な欲望と損得を大切に思考して生きるために、関心のない困り人たちを冷酷に見捨てたり、不完全であるのに、神のように完全なフリをして生きる、生れながら裏表の性質を持つ「罪人」だと、教え説きます。  また聖書は...人は皆、何よりも大切な人心、人命、隣人愛や純粋な神信仰を第一に生きようとする義人など居ないため、死後、神の国『天国』に入るためには、イエスの十字架の贖罪が必要だと説くのです。  信じるか、信じられないかはあなた次第です。しかし、人の心の奥深くを探られる神の御前で、自分は完全であり、イエスの十字架の贖罪は要らないなどと、根拠のない思い上がった思考、永遠を賭けたギャンブルはしない方が得策です。なぜなら世界中には、私たちが所属している先進国の助けが届かずに、餓死する子どもたちが溢れているからです。  しかし、そんな人命よりも経済重視の先進国の人々でさえも、Bible&Jesusを信じるだけで、神にゆるされて救われるのです。

  • ローマ信徒への手紙10:9~11 『もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは永遠に救われるからです。人は心に主イエスを信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。聖書はこう言っています。「主イエスに信頼する者は、失望させられることがない。」』

 このようにBibleは、自らの至らなさ、罪や咎を認めて、主イエスの十字架に頼り、祈る人は、必ず 永遠に救われると約束してくれます。  「MerryChristmas!」の意味は...『神様は、イエスキリストを信じた わたしたちの死を取り除いて、永遠を約束してくれた。だから残った人生で「キリストの祭りを楽しもう!」』という意味なのです。 22節

 また、主イエスを愛し慕っていた使徒ペテロは、全く、十字架の救いの意味が理解できませんでした。そして彼は、主イエスが十字架上で死なれることを邪魔しようと考えたのです。  彼は大切なイエスが死ぬことを、また 自分たちの生活のすべての面倒を見てくれた、イエスがいなくなることが受け入れられなかったのです。

23節

 しかし、主イエスは使徒ペテロにこう語ったのです。『黙れ!使徒ペテロの心に働いた自分勝手なサタン(悪霊)。わたしが十字架上で血を流して、命を捨てなければ、世界人類は救えない。  そして、わたしが、死後三日後によみがえって、神の国に戻らなければ、人間の永遠の新天地「天国」の神のご計画は行えないからだ。』

24~26節

 そして、主イエスはこう付け足しました。「自己保身的な人は、神に与えられた みことば力と聖霊力を失ってしまいます。しかし、自己保身や自分の欲望よりも、Bibleのみことばと隣人愛を大切に生きようとする人には、永遠に人を救える神の愛力と、奇跡を起こせる爆発的な聖霊力を見いだせるのです。  また、人は皆どんなに多くの自分の欲求を満たしたところで、死後、神に受け入れられずに滅びてしまえば、その人の人生は取り返しがつかなくなり、全く無意味なのです。」

  • マタイの福音書6:46~48 主イエスは言われた。『だれも父なる神を見た者はありません。ただ神から出た者、すなわち、このわたしだけが、父なる神を見たのです。まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしイエスを信じる者は永遠のいのちを持ちます。わたしはいのちのパンだからです。』

27~28節

 尚、日本語の「パラダイス」「天国」という言葉は、聖書から伝わったみことばです。したがって、主イエスの十字架信仰による贖いとコネクションがなければ、誰も本物の「パラダイス」や、人類の永遠の新天地「天国」に行くことはできないということになります。目を醒ますことです。

  • ヨハネの福音書3:15 イエスは約束した。『わたしを信じる者はみな、永遠のいのちを持つのです。』

 やがて、肉体の死はやってきます。だから、あれこれとくだらない宗教論など、並べ立てる暇はないのです。  Bibleはこう教えます。「ただ、子どもの頃のような想像力と感性を働かせなさい。そして、死への怖れやあきらめよりも、永遠の希望を握り締めながら、主イエスを信じればいいだけだと...。」  あなたに与えられる、天国の想像力と永遠の希望に期待します。Amen

(祈り)  主なる神様、皆を聖霊に満たして、子どもの頃のような想像力と感性を蘇らせて下さい。 そして皆が、自己保身的な思考や個々の宗教論よりも、Bibleのみことばと隣人愛を大切に生きられるようにして下さい。そうすれば 皆に、永遠の希望力と、人を救う神の愛力が備わり出すからです!  主イエスのお名前で、期待して祈ります。AMEN!!!

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