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マタイの福音書15:1~9

2014年12月3日(水)

Bible said 『幸いなことよ。神の知恵を見いだす人は』 『主の教えを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ人は、何をしても栄える』 『心を尽くして主に拠り頼め. 自分の悟りに頼るな』 ディボーション聖句 マタイの福音書15:1~9 1 そのころ、パリサイ人や律法学者たちが、エルサレムからイエスのところに来て、言った。 2 「あなたのお弟子たちは、なぜ長老たちの言い伝えを犯すのですか。パンを食べるときに手を洗っていないではありませんか。」 3 そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「なぜ、あなたがたも、自分たちの言い伝えのために神の戒めを犯すのですか。 4 神は「あなたの父と母を敬え」、また『父や母をののしる者は死刑に処せられる』と言われたのです。 5 それなのに、あなたがたは、『だれでも、父や母に向かって、私からあなたのために差し上げられる物は、供え物になりましたと言う者は、 6 その物をもって父や母を尊んではならない』と言っています。こうしてあなたがたは、自分たちの言い伝えのために、神のことばを無にしてしまいました。 7 偽善者たち。イザヤはあなたがたについて預言しているが、まさにそのとおりです。 8 「この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。 9 彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから。」 [聖句メッセージ] 本日からマタイの福音書は15章です。 1節 (1 そのころ、パリサイ人や律法学者たちが、エルサレムからイエスのところに来て、言った。)

 『パリサイ人』は旧約聖書の律法を守らぬ人たちを差別をして、相手にしなかったユダヤ教徒達です。当時のユダヤ人の有力者と権力者の大半は、このパリサイ人たちでした。  『律法学者』とは当時の神学と法律の専門家です。

 パリサイ人と律法学者たちは、律法(旧約聖書)を守れぬ 欲望に囚われた人、無学な人、貧しい人や罪深い人々を軽蔑して、差別していました。そこで、主イエスは彼らに悔い改めのメッセージを語り続けたがゆえに、憎まれて命を狙われるようになったのです。  神に選ばれて真理を証しする人は、時にはイエスのように誤解されて、煙たがれ、憎まれることもあります。しかし、誰をも、何をも恐れず、証しし続ける人に神は、必ず現れるのです。  人生はただ一度...是非、それを体験して下さい。

  • 第1ヨハネの手紙4:16,18 『私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。』

 Bibleで、恐れやネガティブ思考とは、神の愛と恵みを締め出す、何よりの人生の敵だと教え説きます。神の愛を信頼して、人を救う愛を大切にしながら、毎日のように証しし続けてみることです。そうすれば、あなたの人生から恐れやネガティブ思考は消え去り、その3年先は、12使徒や使徒パウロのように、必ず、大きな実を結べるようになれると、Bibleは保証してくれるからです。  神への愛と人を救う愛を堅く握り締めて、証ししようとする純粋な人を、神は放って置かれないということです。

2節 (2 「あなたのお弟子たちは、なぜ長老たちの言い伝えを犯すのですか。パンを食べるときに手を洗っていないではありませんか。」)

  • 詩篇73:13 『私は手を洗って清くする。』

 このようにBibleは、手を洗うことは、手を消毒すると同時に、手を清める作業になると教え説きます。しかし聖書は、食前に手を洗わなければならないとは、絶対的に命じておりません。しかしパリサイ人たちは、ユダヤ教の長老たちが言い伝えた常識や伝統を重んじ過ぎてしまい、手を洗い忘れた イエスの弟子たちを裁いたのです。  このように人を裁く人は皆、真理から背いて、自分勝手な常識を押し付けたがります。言われるがままに受け留めず、みことばから真理なのか、相手の自分勝手なエゴなのか吟味して、対応することです。  もし、それが真理なら謙虚に受け留めて謝罪し、真理でないのなら、適当に聞き流して、対応すれば良いのです。

3節 (3 そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「なぜ、あなたがたも、自分たちの言い伝えのために神の戒めを犯すのですか。)

 そして主イエスは、パリサイ人たちが、神の真理ではなく、長老たちの好みと言い伝えを押し付けてきたことを見抜き、冷静に神の真理(みことば)で対応したのです。  Bibleは常識とは移ろいやすく、また、伝統は時に美しいが、どちらも絶対視するものではないと教えています。それらは時代とともに、より良く変わり続けるから味が出ると、教え説くのです。人生で大切なのは、常識と伝統ではなく、揺るがぬ永遠の真理だと教えるのです。胸に書き記すことです。  Bibleは、パリサイ人たちのように信仰の長老職者や、組織の上司のすべてに聞き従いなさいと、教えているのではありません。神の国の文化に行き過ぎた年功序列や、男女差別はないのです。パリサイ人たちは真理を組み違えていました。

  • 第1テモテの手紙4:13~16 『あなたがたは聖書の朗読と勧めと教えとに専念しなさい。また長老たちによる按手の祈りを受けたとき、みことばの預言によって与えられた、あなたのうちにある聖霊の賜物を軽んじてはいけません。これらの務めに心を砕き、しっかりやりなさい。そうすれば、あなたの進歩はすべての人に明らかになるでしょう。自分自身にも、教える事にも、よく気をつけなさい。あくまでそれを続けなさい。そうすれば、自分自身をも、またあなたの教えを聞く人たちをも救うことになります。』

  • 第1テモテの手紙5:17 『よく指導の任に当たっている長老は、二重に尊敬を受けるにふさわしいとしなさい。みことばと教えのためにほねおっている長老は特にそうです。』

  • ルカの福音書19:40 『イエスは言われた。「わたしは、あなたがたに言います。もしあなたたちが黙れば、石さえも真理を叫び出します。」』

 このようにBibleは、みことばの教えと預言に、いつも専念している教会の長老職者のみことばの教えや、未信徒であったとしても、真理に沿ったことを語る上司と先輩の言う言葉に、しっかりと従う柔和と謙遜さが備わるのなら、その人は、必ず 神の素晴らしい報いと、隣人を救う愛の実を結べると、約束したのです。

  • ピリピの手紙2:3 『何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。』

  • マタイの福音書20:27 主イエスは言った『あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい。』

  • 詩篇28:14 『幸いなことよ。 いつも主を恐れている人は。 しかし心をかたくなにする人はわざわいに陥る。』

 もしあなたが、神を味方につけながら、周囲の仲間たちを救い、また人の上に立ちたいと思うのなら、目を醒まして、教会や隣人から語られる真理を受け入れられる謙虚さと柔和な心を 大切に身につけて、生きることが大切です。これが真理だからです。

4~9節 (4 神は「あなたの父と母を敬え」、また『父や母をののしる者は死刑に処せられる』と言われたのです。5 それなのに、あなたがたは、『だれでも、父や母に向かって、私からあなたのために差し上げられる物は、供え物になりましたと言う者は、6 その物をもって父や母を尊んではならない』と言っています。こうしてあなたがたは、自分たちの言い伝えのために、神のことばを無にしてしまいました。7 偽善者たち。イザヤはあなたがたについて預言しているが、まさにそのとおりです。8 「この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。9 彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから。」)

 また全知全能の主イエスは、そこにいたパリサイ人たちの多くが『あなたの父母を敬え』という、大切なみことばを無視して、両親を邪魔扱いしていたことを知っていました。彼らは年老いた両親の扶養する生活費を すべて、神様に捧げたので、扶養出来ないと偽り、両親の扶養義務を怠っていたのです。

  • ヤコブの手紙2:23~24 『そして、「アブラハムは神を信じ、その信仰による行いが彼の義とみなされた」という聖書のみことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。人は行いによって、神に義と認められるのであって、信仰だけによるのではないことがわかるでしょう』

 主イエスのみことばを信じる者は、その十字架の贖いゆえにゆるされます。しかし パリサイ人のように、みことばの永遠の真理よりも自分勝手な常識やこだわりを重んじる、口先だけの信仰にはなんの意味も力も見出せないのです。  あなたの人生に現れる、神と人を感動させるJesus信仰と、その生き様に期待します。

 AMEN

(祈り)  主なる神様、皆を聖霊に満たし、移ろいやすい この世の常識の支配から解放させ、主イエスの教会から語られる、真理のみことばを 真心から大切に生きられるようにして下さい。そして、何をも、誰をも恐れずに、Bible&Jesusの証しを 自分らしく、自由に語り続けられるようにしてあげて下さい。そうすれば 皆のすべての恐れやネガティブ思考は消え去り、神からの素晴らしい報いと、周囲の人々を救う実を結べるからです!  主イエスのお名前で、期待して祈ります。AMEN!!!

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