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マタイの福音書14:22~36

2014年12月2日(火)

Jesus said 『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』 『主を恐れることは、知恵の初め。』 ディボーション聖句 マタイの福音書14:22~36 22 それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませて、自分より先に向こう岸へ行かせ、その間に群衆を帰してしまわれた。 23 群衆を帰したあとで、祈るために、ひとりで山に登られた。夕方になったが、まだそこに、ひとりでおられた。 24 しかし、舟は、陸からもう何キロメートルも離れていたが、風が向かい風なので、波に悩まされていた。 25 すると、夜中の三時ごろ、イエスは湖の上を歩いて、彼らのところに行かれた。 26 弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、「あれは幽霊だ」と言って、おびえてしまい、恐ろしさのあまり、叫び声を上げた。 27 しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。 28 すると、ペテロが答えて言った。「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」 29 イエスは「来なさい」と言われた。そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。 30 ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ。助けてください」と言った。 31 そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」 32 そして、ふたりが舟に乗り移ると、風がやんだ。 33 そこで、舟の中にいた者たちは、イエスを拝んで、「確かにあなたは神の子です」と言った。 34 彼らは湖を渡ってゲネサレの地に着いた。 35 すると、その地の人々は、イエスと気がついて、付近の地域にくまなく知らせ、病人という病人をみな、みもとに連れて来た。 36 そして、せめて彼らに、着物のふさにでもさわらせてやってくださいと、イエスにお願いした。そして、さわった人々はみな、いやされた。 [聖句メッセージ] 本日でマタイの福音書は14章は終わりです。 22節 (22 それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませて、自分より先に向こう岸へ行かせ、その間に群衆を帰してしまわれた。)

 主イエスは、神の預言と癒しを求めに集まって来た、全ての人々にみことばを伝えて、癒した後、12使徒たちだげを連れて、向こう岸に向かわれました。

  • マタイの福音書9:6~8 『イエスは言われた。「人の子イエスが地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために。」こう言って、それから中風(脳血管障害による半身麻痺)の人に、「起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい」と言われた。すると、彼は起きて家に帰った。』

  • マタイの福音書8:3~4 『イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ」と言われた。すると、すぐに彼のツァラアト(不治の病・ハンセン病)はきよめられて癒された。イエスは彼に言われた。「気をつけて、だれにも話さないようにしなさい。ただ、人々への証しのために、行って、治った自分を祭司に見せて証ししなさい。そして、モーセの命じた供え物と礼拝をささげなさい。」』

 主イエスは、たった1日で、7500人以上の老若男女を救い、奇跡的に食べさせて、病のある人を癒されました。

 しかし、イエスは1人でさえも、神のみことばの教師と預言者とせず、特別な霊的権威の力も授けられませんでした。それどころか、イエスに着いて来ようとしていた7500人以上のすべての人々に、すぐ帰るように話し、癒された人々には、必ず、地元の祭司に見せて証しするようにだけ、命じられたのです。  あなたは、Jesusを信じて救われ、証しするために選ばれました。目を醒ますことです。

  • ローマ信徒への手紙12:3~5 使徒パウロは言った『私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、教会に大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。』

 このように主イエスは、世界中の人々を救って、神のご意志とご計画を表現するために教会制度を造られ、救われた人は教会の仲間たちと協力し合って、周囲の人々に証しするように命じられました。

 しかし聖書は、すべての人々に、神の特別な霊的権威を授ける訳ではないと、教え説きます。神の御名を求めて、自分の願いやビジョンを成就したくとも、決して 思い上がらずに、今の自分の状態と状況や賜物を よく見極めながら、現実とみことばを見て、今 何をすべきか、何を協力できるのか、考えて行動することが大切だと、教え説くのです。

  • 第1コリントの手紙1:10 『さて、兄弟姉妹たち。みなが一致して、仲間割れすることなく、同じ心、同じ判断を完全に保ってください。』

 このように、神様は教会の仲間たちとの共通のみことばに基づいた、祈りとチームプレイでしか、大きい御業を現しません。大きなことをしたいと焦ったり、独りよがりで勘違いして、空回りしては、自分自身と大切な人生を傷つけることになりかねません。目を醒まして、チームプレイを意識することです。  また、教会に属していない人は、インターネット教会などに積極的につながり、出来る限り、天に宝を積むことです。

  • ヤコブの手紙3:1  『私の兄弟姉妹たち。多くの者が教師になってはいけません。ご承知のように、私たち教師は、格別きびしいさばきを受けるのです。』

  • 使徒の働き19:12~16 『パウロの身に着けている手ぬぐいや前掛けをはずして病人に当てると、その病気は去り、悪霊は出て行った。ところが、ある者たちも、ためしに、悪霊につかれている者に向かって主イエスの御名をとなえ、「パウロの宣べ伝えているイエスによって、おまえたちに命じる」と言ってみた。そういうことをしたのは、ユダヤの祭司長スケワという人の七人の息子たちであった。すると悪霊が答えて、「自分はイエスを知っているし、パウロもよく知っている。けれどおまえたちは何者だ」と言った。そして悪霊につかれている人は、彼らに飛びかかり、ふたりの者を押さえつけて、みなを打ち負かしたので、彼らは裸にされ、傷を負ってその家を逃げ出した。』

 このようにBibleは、たとえ、長い信仰生活を送ってきた人であっても、また 聖職者の子孫であったとしても、聖職者の真似事は、非常に危険だと忠告します。しっかりとした、神からの召し、それに伴う説得力のある良い実と、ある程度の教育、訓練、資格も必要だと教え説くのです。何事にもプロとアマチュアは存在します。神の国とは、非常識ではなく、超常識の世界観です。教会生活が長くとも、決して、限度を超えて思い上がらないことが大切なのです。  またBibleは、聖職者やリーダーの立場の人々に与えられた霊的才能と権威は、神と人に仕えるためにあると、ハッキリ教え説きます。聖職者やリーダーは自分のためにだけに、神から受けた特別な賜物を用いては、全く意味がないと教え説くのです。初心を大切に仕えるべきです。

23~36節 (23 群衆を帰したあとで、祈るために、ひとりで山に登られた。夕方になったが、まだそこに、ひとりでおられた。24 しかし、舟は、陸からもう何キロメートルも離れていたが、風が向かい風なので、波に悩まされていた。25 すると、夜中の三時ごろ、イエスは湖の上を歩いて、彼らのところに行かれた。26 弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、「あれは幽霊だ」と言って、おびえてしまい、恐ろしさのあまり、叫び声を上げた。27 しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。28 すると、ペテロが答えて言った。「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」29 イエスは「来なさい」と言われた。そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。30 ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ。助けてください」と言った。31 そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」32 そして、ふたりが舟に乗り移ると、風がやんだ。33 そこで、舟の中にいた者たちは、イエスを拝んで、「確かにあなたは神の子です」と言った。34 彼らは湖を渡ってゲネサレの地に着いた。35 すると、その地の人々は、イエスと気がついて、付近の地域にくまなく知らせ、病人という病人をみな、みもとに連れて来た。36 そして、せめて彼らに、着物のふさにでもさわらせてやってくださいと、イエスにお願いした。そして、さわった人々はみな、いやされた。)

  • ルカの福音書1:37 主イエスは言った。『神にとって不可能なことは一つもありません。』

  • マタイの福音書5:18 主イエスは言った。『天地が滅びうせない限り、聖書の律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。』

  • ヘブル人への手紙11:1 『信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。』

 今日の聖句のように...「目には見えねども、主イエスは神の御子であるがゆえに、決して不可能なことはなく、Bibleのみことばは、必ず成就する」と、純粋に100%信じられるかどうかが、神の奇跡を生み出すJesus信仰の鍵となります。 信仰とは、子どものように想像力を働かせて、素直にBibleのみことばの約束・預言・戒めを受け入れながら、これから起きるであろうBibleのみことばの約束と預言を 子どものように純真無垢に期待しながら、完全な大人の忍耐力と自制心を働かせて 待ち望むという、心の在り方その生き様です。  また、日々のディボーションとは、信じる力を磨くための心霊のトレーニングでもあります。  信じる力を磨くことです。  あなたの願いと神の奇跡を成就させられる、あなたの信じる力に期待します。

 AMEN

(祈り)  主なる神様、皆を聖霊に満たし、一人一人が限度を越えて思い上がらないように調整して下さい。そして、それぞれが仲間たちとみことばで一致して、協力し合い、神のご計画とご意志を表せるように助け導き、日々のBibleメッセージからそれぞれの信じる力を磨いて下さい。そうすれば、皆の願いが多く叶い、神の奇跡も増し加わるからです!  主イエスのお名前で、ただ期待して祈ります。AMEN!!!

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