2014年10月31日(金)
Bible said 『主の教えを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ人は、何をしても栄える』
『心を尽くして主に拠り頼め。 自分の悟りにたよるな』
『幸いなことよ。神の知恵を見いだす人は』 ディボーション聖句 マタイの福音書9:23~31 23 イエスはその管理者の家に来られて、笛吹く者たちや騒いでいる群衆を見て、
24 言われた。「あちらに行きなさい。その子は死んだのではない。眠っているのです。」すると、彼らはイエスをあざ笑った。
25 イエスは群衆を外に出してから、うちにお入りになり、少女の手を取られた。すると少女は起き上がった。
26 このうわさはその地方全体に広まった。
27 イエスがそこを出て、道をて行かれると、ふたりの盲人が大声で、「ダビデの子よ。私たちをあわれんでください」と叫びながらついて来た。
28 家に入られると、その盲人たちはみもとにやって来た。イエスが「わたしにそんなことができると信じるのか」と言われると、彼らは「そうです。主よ」と言った。
29 そこで、イエスは彼らの目にさわって、「あなたがたの信仰のとおりになれ」と言われた。
30 すると、彼らの目があいた。イエスは彼らをきびしく戒めて、「決してだれにも知られないように気をつけなさい」と言われた。
31 ところが、彼らは出て行って、イエスのことをその地方全体に言いふらした。
[聖句メッセージ] 昨日の続きです。
23節 (23 イエスはその管理者の家に来られて、笛吹く者たちや騒いでいる群衆を見て、)
愛する娘の心肺停止を目の当たりにした、ユダヤ教・会堂管理者の男は、すぐにユダヤ教からJesus信仰に改心して、主イエスの元に行き、こう言いました。「あなたは神の御子であるので、再び、愛娘の心肺機能を回復させることができるはずです。だから どうか、今すぐに我が家に来て、娘に触れて、祈り救って欲しいのです。」と願い出たのです。そして主イエスは、その真心からの信仰の祈りに揺り動かされて、その男の家に来たのでした。
このように真心から、主イエスのお名前で祈る祈りは、必ず、聞かれるのです。
ヘブル人への手紙10:38 主なる神様は言われた『わたしの義人は信仰によって生きる。もし、わたしの御ことばを信じられず、恐れ退くなら、わたしのこころは彼らを喜ばない。』
ヘブル人への手紙11:6 『信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。』
ローマ信徒への手紙1:17 『正しい義人は信仰によって生きる』
このようにBibleは、神の認める真の正しい人とは、信仰によって生きる人だとハッキリ教え説きます。
ローマ信徒への手紙3:10 『それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。」
Bibleは、人間のいっときだけの優しさや善行、社会奉仕活動のほとんどの動機は、ただの自己満足、気休めにしかないとまで、厳しく説きます。なぜなら、神は人の心の奥底を見られるからです。
ヘブル人への手紙4:12 『神の御ことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。』
もしあなたに、神の奇跡と願いの成就が必要ならば、日々のBibleの御ことばから、自らの心霊を深く探って矯正してみることです。そうすれば、あなたの心霊と生き様は、神の奇跡と願いを叶える心霊に造り変えられていくからです。
24節 (24 言われた。「あちらに行きなさい。その子は死んだのではない。眠っているのです。」すると、彼らはイエスをあざ笑った。)
ルカの福音書8:53 『人々は、娘が死んだことを知っていたので、イエスをあざ笑っていた。』
会堂管理者の親類と友人達は、若い娘が、心肺停止から数時間経っていたのを知っていた為に、イエスの言動を小馬鹿にして、ともらいの歌をやめずに、葬儀の準備をしようとしていました。
ルカの福音書9:26 主イエスは言った『もしだれでも、わたしとわたしの御ことばとを恥と思うなら、人の子イエスも、自分と父なる神様と聖なる御使いとの栄光を帯びて来るときには、そのような人のことを恥とします。』
ローマ信徒への手紙1:16 使徒パウロは言った『私は福音の御ことばを恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめ外国人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力だからです。』
しかし、会堂管理者の男は、周囲の冷めた言動とあきらめの態度を 全く恐れずに、ただただ、娘を救おうとする愛力と、主イエスを信頼して愛する信仰心だけを堅く握り締めて、祈り続けたのです。
これが神の奇跡を起こせる、真の義人の態度です。胸に書き記すことです。
マタイの福音書9:23~24 『イエスは、みなの者に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々、恥と苦しみの十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。自分のいのちを自分で救おうと思う者は、かえってそれを失い、わたしイエスのために自分のいのちを失う者は、自分を救うのです。」
このように主イエスは、Bibleの御ことばよりも、いつも 他人に こびを売ったり、周囲に気を遣い過ぎる人には、神の奇跡と爆発的な人を救う聖霊力など、あり得ないと教え説きました。
マタイの福音書10:28 主イエスは言った『からだを殺しても、たましいを殺せない人間たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナ・地獄で滅ぼすことのできるお方、神様だけを恐れなさい。』
Bibleは、人間は愛する対象であって、恐れや極度の気遣いなど必要ないと説いており、恐れる対象は、父なる神様だけで十分だと教え説くのです。
箴言29:25 『人を恐れると人生のわなにかかる。 しかし主に信頼する者は守られる。』
Bible&Jesusの御ことばを伝える使命の時、人に気を使い過ぎたり、自分の頭で、あれこれと考え過ぎないことです。なぜなら、そういう人は、人生のわなにはまりやすく、恵みが乏しくなって、自滅しやすくなると教え説くからです。霊の目を醒ますことです。
25〜31節 (25 イエスは群衆を外に出してから、うちにお入りになり、少女の手を取られた。すると少女は起き上がった。26 このうわさはその地方全体に広まった。27 イエスがそこを出て、道をて行かれると、ふたりの盲人が大声で、「ダビデの子よ。私たちをあわれんでください」と叫びながらついて来た。28 家に入られると、その盲人たちはみもとにやって来た。イエスが「わたしにそんなことができると信じるのか」と言われると、彼らは「そうです。主よ」と言った。29 そこで、イエスは彼らの目にさわって、「あなたがたの信仰のとおりになれ」と言われた。30 すると、彼らの目があいた。イエスは彼らをきびしく戒めて、「決してだれにも知られないように気をつけなさい」と言われた。31 ところが、彼らは出て行って、イエスのことをその地方全体に言いふらした。)
イザヤ書35:4 『心騒ぐ者たちに言え。「強くあれ、恐れるな。見よ、あなたがたの神を。復讐が、神の報いが来る。神は来て、あなたがたを救われる。」』
第1ヨハネの手紙4:18 『愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。』
Bibleは、この会堂責任者や盲人たちのように、誰をも恐れずに、Bible&Jesusの御ことばを 堅く信じて、前進し続けようとする、隣人愛と主イエスへの愛に満ちた人は、神の百倍の報いと奇跡が与えられると、ハッキリ約束しています。主イエスを信じた あなたの人生への恐れは、ただの足手まといだと教えるのです。信じて、恐れと戦う人は報われます。
あなたに与えられる、恐れなき全き愛力とJesus信仰に期待します。
AMEN
(祈り) 主なる神様、皆を聖霊に満たして、隣人愛と 皆を贖ってくれた主イエスへの愛を、全きモノにして下さい。そして 主よ、皆が Bible&Jesusの御ことばを堅く信じて、前進し続けられるように、助け導いて下さい。そうすれば、皆の人生から必要以上な他人への気遣いと恐れが消え去り、皆に神の奇跡と百倍の報いのチャンスが与えられるからです!
主イエスのお名前で、期待して祈ります。AMEN!!!