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マタイの福音書7:1~5

2014年10月19日(日)

GOD said 『あなたは癒された』

『愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい』

『神は愛です』

『主のしもべは栄える』

ディボーション聖句 マタイの福音書7:1~5

1 さばいてはいけません。さばかれないためです。

2 あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。

3 また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。

4 兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください』などとどうして言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。

5 偽善者よ。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。

[聖句メッセージ]

本日からマタイの福音書は7章です。

1~2節 (1 さばいてはいけません。さばかれないためです。2 あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。)

 『さばいてはいけません』とは、物事の理非をハッキリさせて、他人のせいばかりにしてはならないということ。どちらか一方が100%悪いと、白黒ハッキリ決着をつけようとしては、いけないという意味があります。

  • ローマ信徒への手紙3:10~12 『それは、旧約聖書には次のように書いてあるとおりです。「真の義人はいない。ひとりもいない。完全な悟りのある人と神を求める人もいない。すべての人が人生に迷い出て、みな、ともに無益な者となっているからである。真心からの善を行う人はもいない。ひとりもいない。」』

  • マタイの福音書17:18 『そして、イエスがおしかりになると、悪霊は彼から出て行き、その人はその時から直った。』

 なぜならBibleで、人は皆、完全完璧な人などおらず、人を正しくジャッジ出来る人などおらず、100%どちらかが悪いとハッキリさせ過ぎない方がいいと、教え説くからです。またBibleは、人々の多くは見えない敵・悪霊に支配されている可能性もあると、教えているからなのです。

 だから、他人のせいばかりにし過ぎないことが大切なのです。

  • マタイの福音書6:14~15 主イエスは言った『もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。』

  • 第一コリントの手紙11:31~32 『しかし、もし私たちが自分をさばくなら、さばかれることはありません。しかし、私たちがさばかれる時は、主によって懲らしめられて教育されるのであって、それは、私たちが、この世とともに罪に定められることのないためです。』

 このようにBibleは、もしあなたが他人を裁いて、許そうとしないのなら、神もあなたをゆるさないとハッキリ忠告します。人の善悪の白黒は、神の懲らしめや神の摂理(法律を含む)に任せるように教え説くのです。

  • ピリピの手紙2:12 『主なる神を恐れおののいて、自分の救いの達成に努めなさい。』

Bibleとは...

 一番目、御ことばから自らの罪と過ちを探し出して、主イエスの十字架で完全にゆるし清められる為にあり、自らの永遠の恵みと幸いを勝ち取る為の霊的書物

  • マタイの福音書5:18~19 『まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、聖書の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。だから、御ことばの戒めのうち最も小さいものの一つでも、これを破ったり、また破るように人に教えたりする者は、天の御国で、最も小さい者と呼ばれます。しかし、御ことばを守り、また守るように教える者は、天の御国で、偉大な者と呼ばれます。』

Bibleとは...

 二番目、神に選ばれしクリスチャンたちが周囲の人たちに真理を教育する為に、神が与えた霊的書物

 Bibleは、これを用いて人を裁いて、悪人・罪人呼ばわりする為の書物ではないということです。

3~5節 (3 また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。4 兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください』などとどうして言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。5 偽善者よ。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。)

  • ヤコブ書2:14~20 『私の兄弟姉妹たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に信仰の行いがないなら、何の役に立ちましょう。そのような信仰がその人や他人を救うことができるでしょうか。もし、兄弟また姉妹のだれかが、着る物がなく、また、毎日の食べ物にもこと欠いているようなときに、あなたがたのうちだれかが、その人たちに、「安心して行きなさい。よく食べて、暖かになりなさい」と言っても、もしからだに必要な食物と着物を与えないなら、何の役に立つでしょう。それと同じように、信仰も、もし行いがなかったなら、それだけでは、死んだものです。さらに、こう言う人もあるでしょう。「あなたは信仰を持っているが、私は行いを持っています。では、行いのないあなたの信仰を、私に見せてください。私は、行いによって、私の信仰をあなたに見せてあげます。」どちらが説得力があるでしょう。あなたは、神はおひとりだと信じています。りっぱなことです。ですが、そんなことぐらい、悪霊どももそう信じて、身震いしています。ああ愚かな人よ。あなたは行いのない信仰がむなしいことを知りたいと思いますか。』

 このようにBibleは、いくらBible&Jesusを信じている人がいたとしても、その人に、日々の御ことばの実践適用が伴っていなければ、他人を救い導くどころか、やがて、自分自身さえ救い出すことさえ出来なくなってしまうと、厳しく預言しています。人を救い、助け導くのに必要なのは、御ことばに生きようとする聖霊力と、生き様の伴う説得力と証し力だと教え説くのです。

 見て見ぬ振りや、聞いているのに聞こえていない振りばかりしてしまったりなど、怠惰は身を滅ぼしかねません。目を醒ますことです。あなたに出来なくとも、あなたの内なるHolySpiritにはそれが出来るからです。

 自我ではなく、内なる御ことば力とHolySpritに生活習慣と人間関係を、ただ素直に委ねるだけなのです。

  • ヤコブ書2:23~26 『あなたの見ているとおり、アブラハムの信仰は彼の行いとともに働いたのであり、信仰は行いによって全うされ、そして、「アブラハムは神を信じ、その信仰が彼の義とみなされた」という聖書の御ことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。人は行いによって義と認められるのであって、信仰だけによるのではないことがわかるでしょう。同様に、遊女ラハブも、神の使者たちを命懸けで招き入れて、別の道から送り出したため、その行いによって義と認められたではありませんか。たましいを離れたからだが、死んだものであるのと同様に、行いのない信仰は、死んでいるのです。』

もし、あなたが神の友と認められて、必要な願いと大きな報いを手に入れたいのなら、そして、少しでも多くの愛する人々を救い出し、また、他人を変えたいと、切に願うのならば、昨日までの一切の恐れと生活習慣を捨てて、ごまかしをやめ、本気でBible&Jesusの御ことばを生活習慣と人間関係に適用し続けることです。そうすれば、あなたの敵対者、不理解者たちは神様に変えられるからです。

  • ローマ信徒への手紙8:31~32 『神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。私たちすべてのために、ご自分の御子イエスをさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子イエスの命といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。』

  • マタイの福音書5:16 主イエスは言った『このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの御ことばの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父なる神をあがめるようにしなさい。』

 あなたの生活習慣と人間関係に現れる、奇跡を起こす、御ことば実行力と聖霊力に期待します。

 AMEN

(祈り)

 主なる神様、皆を聖霊に満たして、霊の目を開かせ、すべての人をゆるさせて、見えない敵の働きにも気づかせてあげて下さい。そうすれば、皆に 不可能を可能にする主イエスの十字架力と救霊力が増し加わるからです!

 そして、主よ、皆の生活習慣と人間関係に、御ことばを具体的に行わせてあげて下さい。そうすれば、皆に奇跡を起こす、聖霊力と祈祷力が増し加わるからです!

 主イエスのお名前で、期待して祈ります。AMEN!!!

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