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第ニコリントの手紙12:17~21 (2014年9月25日(木))

Jesus said

『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』

『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』 ディボーション聖句 第ニコリントの手紙12:17~21

17 あなたがたのところに遣わした人たちのうちのだれによって、私があなたがたを欺くようなことがあったでしょうか。

18 私はテトスにそちらに行くように勧め、また、あの兄弟を同行させました。テトスはあなたがたを欺くようなことをしたでしょうか。私たちは同じ心で、同じ歩調で歩いたのではありませんか。

19 あなたがたは、前から、私たちがあなたがたに対して自己弁護をしているのだと思っていたことでしょう。しかし、私たちは神の御前で、キリストにあって語っているのです。愛する人たち。すべては、あなたがたを築き上げるためなのです。

20 私の恐れていることがあります。私が行ってみると、あなたがたは私の期待しているような者でなく、私もあなたがたの期待しているような者でないことになるのではないでしょうか。また、争い、ねたみ、憤り、党派心、そしり、陰口、高ぶり、騒動があるのではないでしょうか。

21 私がもう一度行くとき、またも私の神が、あなたがたの面前で、私をはずかしめることはないでしょうか。そして私は、前から罪を犯していて、その行った汚れと不品行と好色を悔い改めない多くの人たちのために、嘆くようなことにはならないでしょうか。

[聖句メッセージ]

 本日で第二コリントの手紙12章は終わりです。

17~19節 (17 あなたがたのところに遣わした人たちのうちのだれによって、私があなたがたを欺くようなことがあったでしょうか。18 私はテトスにそちらに行くように勧め、また、あの兄弟を同行させました。テトスはあなたがたを欺くようなことをしたでしょうか。私たちは同じ心で、同じ歩調で歩いたのではありませんか。19 あなたがたは、前から、私たちがあなたがたに対して自己弁護をしているのだと思っていたことでしょう。しかし、私たちは神の御前で、キリストにあって語っているのです。愛する人たち。すべては、あなたがたを築き上げるためなのです。)

  • 第1コリントの手紙1:11~13 『あなたがたの間には争いがあるそうで、あなたがたはめいめいに、「私はパウロにつく」「私はアポロに」「私はケパに」「私はイエスキリストにつく」と言っているとそうですね。キリストのからだが分割されたのですか。あなたがたのために十字架につけられたのはパウロでしょうか。あなたがたがバプテスマを受けたのはパウロの名によるのでしょうか。』

 このようにコリント教会の人々は、大きな過ちを犯していました。

 彼らの多くは、Bible&Jesusを第一にするどころか、それぞれが、教会にいる牧師や霊的リーダーを選り好みして、派閥のようなモノを形成してしまったのです。その為に、神のからだであるべきコリント教会は、全く一つになれず、神の奇跡と大きな御業が起こりませんでした。

 あなたの主はJesus&Bibleの御ことばに成り変われていますか。

あなたの主が、自分自身や、他の誰かの声になっていないのか、再確認することです。なぜなら、虚しい刈り取りをしない為に、再確認が必要不可欠だからです。

  • 第1コリントの手紙12:4~6 『さて、賜物にはいろいろの種類がありますが、教会にいる一人一人の御霊は同じ御霊です。教会の奉仕にもいろいろの種類がありますが、主は同じ主です。主の働きにはいろいろの種類がありますが、神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。』

  • 第1コリントの手紙12:12 『ですから、ちょうど、神のからだが一つでも、それに多くの部分があり、からだの部分はたとい多くあっても、その全部が一つの神のからだであるように、キリストの教会もそれと同様です。』

 17~19節(17 あなたがたのところに遣わした人たちのうちのだれによって、私があなたがたを欺くようなことがあったでしょうか。18 私はテトスにそちらに行くように勧め、また、あの兄弟を同行させました。テトスはあなたがたを欺くようなことをしたでしょうか。私たちは同じ心で、同じ歩調で歩いたのではありませんか。19 あなたがたは、前から、私たちがあなたがたに対して自己弁護をしているのだと思っていたことでしょう。しかし、私たちは神の御前で、キリストにあって語っているのです。愛する人たち。すべては、あなたがたを築き上げるためなのです。)、このようにBibleの御ことばに反抗的で、コリント教会内で派閥を形成していた人々は...「使徒パウロはコリント教会を欺いて見捨てた冷たい人であり、彼は新任のテトス牧師に全ての責任を背負わせて、自分勝手な宣教旅行に出かけてしまった」と、誤解していました。あれこれと、使徒パウロになん癖と陰口を言っていたのです。

 しかし、コリント教会の牧師であった使徒パウロは、誰よりもコリント教会を大切に考えていた為に、留守中、同じ信仰とビジョンを共有でき、誰よりも信頼を置ける信仰の仲間、テトス牧師を派遣していたのです(18~19節)。

 Bibleは、教会牧師とは神の協力者だと、教え説きます。Bible&Jesusを信じ切って、信頼してみることです。

 あなたに奇跡を起こせる、牧師との一つ心の祈りに期待します。

20節 (20 私の恐れていることがあります。私が行ってみると、あなたがたは私の期待しているような者でなく、私もあなたがたの期待しているような者でないことになるのではないでしょうか。また、争い、ねたみ、憤り、党派心、そしり、陰口、高ぶり、騒動があるのではないでしょうか。)

  • 第1コリントの手紙1:10 『さて、兄弟姉妹たち。私は、私たちの主イエス・キリストの御名によって、あなたがたにお願いします。どうか、教会のみなが一致して、仲間割れすることなく、同じ心、同じ判断を完全に保ってください。』

  • マルコ福音書3:24~25 主イエスは言われた『もし、国が内部で分裂したら、その国は立ち行きません。また、家が内輪もめをしたら、その家は立ち行きません。』

 このように使徒パウロは、二心で 御ことばを無視して、派閥を形成していたコリント教会の人々が、素直に悔い改めることを期待して、祈っていました。

 しかし、使徒パウロは、見事にその期待を裏切られたのです。コリント教会は、信徒たちが思う以上に取り返しのつかない分裂状態でした。

あなたは、神のからだとなる教会のJesusFamilyと 同じ御ことばで同一方向に向かっていますか。それを、再確認することです。なぜなら、教会のJesusFamilyとは、同じ神のからだを形成しているからです。

20~21節 (20 私の恐れていることがあります。私が行ってみると、あなたがたは私の期待しているような者でなく、私もあなたがたの期待しているような者でないことになるのではないでしょうか。また、争い、ねたみ、憤り、党派心、そしり、陰口、高ぶり、騒動があるのではないでしょうか。21 私がもう一度行くとき、またも私の神が、あなたがたの面前で、私をはずかしめることはないでしょうか。そして私は、前から罪を犯していて、その行った汚れと不品行と好色を悔い改めない多くの人たちのために、嘆くようなことにはならないでしょうか。)

  • コロサイの手紙3:8 『しかし今は、あなたがたも、すべてこれらのこと、すなわち、怒り、憤り、悪意、そしり、あなたがたの口から出る恥ずべきことばを、捨ててしまいなさい。』

  • 第1テモテの手紙6:3~8 『御ことばと違ったことを教え、私たちの主イエス・キリストの健全な御ことばと敬虔にかなう教えとに同意しない人がいるなら、その人は高慢になっており、何一つ悟らず、疑いをかけたり、ことばの争いをしたりする病気にかかっているのです。そこから、ねたみ、争い、そしり、悪意の疑りが生じ、また、知性が腐ってしまって真理を失った人々、すなわち敬虔を利得の手段と考えている人たちの間には、絶え間のない紛争が生じるのです。しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。私たちは何一つこの世に持って来れなかったし、また何一つ持って、この世を出ることもできません。衣食があれば、それで満足すべきです。』

 このようにBibleは、御ことばよりも、自らの感情的な怒りや欲望を大切にしてしまい、争い、ねたみ、憤り、派閥心、陰口、高ぶり、騒動、不品行、好色を起こして、悔い改めようとしない人は、必ず 嘆き悲しむ結末になると預言します。

 これらを再確認して、祈り悔い改めることです。なぜなら、あなたの主イエスは、その為に十字架につき、あなたを贖ってくれるからです。

 あなたに与えられる、主イエスの十字架力に期待します。

 AMEN

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