top of page
執筆者の写真sgbc-devotion

第二コリントの手紙12:7~10 (2014年9月22日(月))

Jesus said

「あなたの信じた通りになるように」

「何も思い煩わなくてもいい」

「勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです」 ディボーション聖句 第二コリントの手紙12:7~10 7 また、その啓示があまりにもすばらしいからです。そのために私は、高ぶることのないようにと、肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高ぶることのないように、私を打つための、サタンの使いです。

8 このことについては、これを私から去らせてくださるようにと、三度も主に願いました。

9 しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。

10 ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。

[聖句メッセージ]

 昨日の続きです。

7節 (7 また、その啓示があまりにもすばらしいからです。そのために私は、高ぶることのないようにと、肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高ぶることのないように、私を打つための、サタンの使いです。)

 使徒パウロは、十字架の死後に復活した主イエスに出会い、その直後にパラダイス(神の国)に引き上げられるという奇跡的な神体験をしたために、Jesus信仰を持つようになり、人生が180° 良く変わった人物でした。

 彼は最初から、素晴らしい人格、ブレない幸いな人生や、神の奇跡を起こせる信仰心など、持っていなかったのです。かつての彼は、主イエスの愛と御ことばを信じるどころか、逆に、そんなモノ嘘だと反抗する人物でした。

主なる神様が選んだ人で、神様に造り変えられない人などおりません。主イエスの御力を見くびらないことです。

あなたは、より良く造り変えられるために、神様に選ばれました

 自覚することです。

 信じる者に、揺るがぬ幸いと、真の自分らしさは現れ出します。ただただ、信じて、御ことばに期待して生きれば良いだけです。

  • ルカの福音書1:37 主イエスは言った『神にとって不可能なことは一つもありません。』

  • ローマ信徒への手紙8:1 『こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。』

 今のあなたがどうであれ、主イエスの十字架は、あなたをゆるし、あなたをより良く、そして新しく造り変える神の力

 昨日までのあなたの性質や不信仰など、大した問題ではないということです。今日から新たな気持ちになり、Bibleで教える罪悪、二心を捨て去る決断をすれば良いのです。

7~8節 (7 また、その啓示があまりにもすばらしいからです。そのために私は、高ぶることのないようにと、肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高ぶることのないように、私を打つための、サタンの使いです。8 このことについては、これを私から去らせてくださるようにと、三度も主に願いました。)

  • イザヤ書6:5 主なる神の預言者イザヤは言った『ああ。私は、もうだめだ。私はくちびるの汚れた者で、くちびるの汚れた民の国に住んでいる。しかも万軍の主である神様を、この目で見てしまったのだから。』

 このようにBibleは、主なる神様と神の国を見てしまうと、人は皆、生きていられなくなると教え説きます。しかし、使徒パウロは特別な神体験を得られましたが、主イエスの働きをするためにと、特別に神様に生かされたのです。

 また、彼は、絶対的にJesus & Bibleを信じられるほどの奇跡的な神体験をしたことで、そのことを他人に自慢し過ぎたり、また高慢にならないようにと、神様から肉体のトゲ(不治の病)を与えられたと、Bibleは説いています。

  • ヨハネの福音書20:28~29 『使徒トマスは、死後3日後に復活した主イエスを見て言った。「私の主。私の神。」イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」』

 特別な神体験をすれば、誰でも絶対的な信仰心を得られますが、それと引き換えに、パウロのような多くの肉体の痛み、苦しみ、サタン・悪霊の異常な攻撃がやってきます。

 ですから、安易に特別な神体験を求めるよりも、素直な子どものように信じる信仰心を探求した方が、幸いなのです。信じる者は、必ず報われるからです。

8節 (8 このことについては、これを私から去らせてくださるようにと、三度も主に願いました。)

  • マタイ福音書6:7 主イエスは言った『また、祈るとき、神を知らない異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。』

 このように使徒パウロは、自らの不治の病の癒しを、主イエスに3度も祈ったと書いています。主イエスのお名前で 3度も祈れば、あなたの祈りは神様に充分に聞かれていると言うことです。

主イエスのお名前で祈れば、必ず聞かれると信じることが大切なのです

9節 (9 しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。)

  • 箴言3:5 『心を尽くして主に拠り頼め。 自分の悟りにたよるな。』

 人は皆、物事が思い通りに回らなくなったり、肉体や精神の健康を失うと、自我が自信をなくしてしまい、弱くなりがちです。

 しかし、困った時の神頼みと言われますが...人は皆、こういう自我の弱い時にこそ、むしろ、神の御ことばに信頼しやすくなれるので、神の恵みを多く受けやすく、むしろ、内なる聖霊力は強くなれると、教えているのです。

 自分の弱さと足りなさを卑下し過ぎないことです。

10節 (10 ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。)

 このように、あなたがキリストを伝えるがために受ける 弱さ・侮辱・苦痛・迫害・困難とは、神の御ことばの恵みと御力を引き出しやすい、神が強く働かれるチャンスの時期です。

 ですから、こういう弱い時期は、自分の弱さと足りなさをも真摯に受け留めながら、自らの信仰心と神様から与えられている可能性に希望を持ち、誇ることが重要なのです。

 あなたの弱さに働かれる、神からの圧倒的な助けと内なる聖霊力の強さに期待します。

 AMEN

閲覧数:2回0件のコメント

最新記事

すべて表示

ヨハネの福音書7:14~18

2020年2月23日(日) ディボーション聖句 ヨハネの福音書7:14~18 14 しかし、祭りもすでに中ごろになったとき、イエスは宮に上って教え始められた。 15 ユダヤ人たちは驚いて言った。「この人は正規に学んだことがないのに、どうして学問があるのか。」 16...

ヨハネの福音書7:10~13

2020年2月22日(土) ディボーション聖句  ヨハネの福音書7:10~13 10 しかし、兄弟たちが仮庵の祭りに上ったとき、イエスご自身も、公にではなく、いわば内密に上って行かれた。 11 ユダヤ人たちは、祭りのとき、「あの方はどこにおられるのか」と言って、イエスを捜...

bottom of page