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第二コリントの手紙10:12~18 (2014年9月15日(月))
Jesus said
「あなたの信じた通りになるように」
「何も思い煩わなくてもいい」
「勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです」 ディボーション聖句 第二コリントの手紙10:12~18
12 私たちは、自己推薦をしているような人たちの中のだれかと自分を同列に置いたり、比較したりしようなどとは思いません。しかし、彼らが自分たちの間で自分を量ったり、比較したりしているのは、知恵のないことなのです。
13 私たちは、限度を越えて誇りはしません。私たちがあなたがたのところまで行くのも、神が私たちに量って割り当ててくださった限度内で行くのです。
14 私たちは、あなたがたのところまでは行かないのに無理に手を伸ばしているのではありません。事実、私たちは、キリストの福音を携えてあなたがたのところにまで行ったのです。
15 私たちは、自分の限度を越えてほかの人の働きを誇ることはしません。ただ、あなたがたの信仰が成長し、あなたがたによって、私たちの領域内で私たちの働きが広げられることを望んでいます。
16 それは、私たちがあなたがたの向こうの地域にまで福音を宣べ伝えるためであって、決して他の人の領域でなされた働きを誇るためではないのです。
17 誇る者は、主を誇りなさい。
18 自分で自分を推薦する人でなく、主に推薦される人こそ、受け入れられる人です。
[聖句メッセージ]
本日で第二コリントの手紙10章は終わり。
12~13節 (12 私たちは、自己推薦をしているような人たちの中のだれかと自分を同列に置いたり、比較したりしようなどとは思いません。しかし、彼らが自分たちの間で自分を量ったり、比較したりしているのは、知恵のないことなのです。13 私たちは、限度を越えて誇りはしません。私たちがあなたがたのところまで行くのも、神が私たちに量って割り当ててくださった限度内で行くのです。)
詩篇94:4 『愚か者は放言し、横柄に語り、 不法を行う者はみな自慢します。』
エレミヤ書48:30 『わたしは、彼らの高ぶりを知っている。――主なる神の御告げ――人の自慢話は正しくない。その行いも正しくない。』
第1ヨハネの手紙2:15~16 『世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父なる神様を愛する愛はありません。すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父なる神様から出たものではなく、この世から出たものだからです。』
このようにBibleは、自分の才能、地位、持ち物、財産、暮らし向きの自慢をしたがる人は皆、愚かな人だと説きます。
ヨブ記1:21 『人は裸で母の胎から出て来た。また、裸で人はかしこに帰ろう。主はすべてを与え、主はすべてを取られる。主の御名はほむべきかな。』
なぜなら、Bibleで教える真の知者とは、この世の人生で手に入れられる全てのモノとは神からのいっときの賜物と恵みに過ぎず、やがて全てが役に立たなくなるモノだと知る人だと説くからです。
神に評価されて御力を味方につけたいのなら、人よりも多くのモノを手に入れられたとしても、決して勝ち誇ったり自慢し過ぎないことです。 人の才能、持ち物と財産と地位、名誉は、人の価値を決める基準ではないと、Bibleは説くからです。
目を醒ますことです。
イザヤ書52:13 主は預言した『見よ。わたしのしもべは栄える。彼は高められ、上げられ、非常に高くなる。』
このようにあなたの主なる神様は、もしあなたが御ことばを人生の糧として生活するのなら、この世の繁栄、威光、尊厳、栄誉と、神の国の栄光の全てを与えると約束してくれています。
だから、それらを手に入れても、決して自慢し過ぎず、神に感謝することを忘れないことです。
あなたに与えられる、謙遜な心と神の百倍の報いに期待します。
14~15節 (14 私たちは、あなたがたのところまでは行かないのに無理に手を伸ばしているのではありません。事実、私たちは、キリストの福音を携えてあなたがたのところにまで行ったのです。15 私たちは、自分の限度を越えてほかの人の働きを誇ることはしません。ただ、あなたがたの信仰が成長し、あなたがたによって、私たちの領域内で私たちの働きが広げられることを望んでいます。)
第1コリントの手紙3:5~6 『アポロとは何でしょう。パウロとは何でしょう。あなたがたが信仰に入るために用いられた神のしもべであって、主がおのおのに授けられたとおりのことをしたのです。私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、あなたがたを成長させたのは神です。』
使徒パウロは、歴史に残るほどの多くの素晴らしい働きと奇跡をも現してきましたが、パウロとアポロとは神のしもべの牧師として仕えただけであり、JesusFamilyを育てて多くの奇跡を起こしていたのは、全て神様だと説きました。
彼は限度を越えて誇らず、神に栄光をお返ししたのです。
もしあなたの信仰が成長して、多くの恵みや奇跡が起きたとしても、勘違いしないことです。
16~18節 (16 それは、私たちがあなたがたの向こうの地域にまで福音を宣べ伝えるためであって、決して他の人の領域でなされた働きを誇るためではないのです。17 誇る者は、主を誇りなさい。18 自分で自分を推薦する人でなく、主に推薦される人こそ、受け入れられる人です。)
ヘブル書11:6 『信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。』
ルカの福音書7:50 主イエスは言った『イエスは女に言われた。「あなたの信仰が、あなたを永遠に救ったのです。安心して行きなさい。」
ルカの福音書17:19 『それからイエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰が、あなたを直したのです」
マルコ福音書9:23 『イエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。わだしを信じる者には、どんなことでもできるのです。」』
このようにBibleは、人が神に救われて神を喜ばせる手段は、Jesus信仰しかあり得ないと、ハッキリ説きます。
主イエスの十字架の贖罪に頼らずして、神との相思相愛な関係、神を永遠に味方につけられるコネクション、完全な人生を築けるなどと、思い上がらないことが大切なのです。
あなたに現れる、奇跡を起こす本物の信仰力に期待します。
17~18節 (17 誇る者は、主を誇りなさい。18 自分で自分を推薦する人でなく、主に推薦される人こそ、受け入れられる人です。)
第1コリントの手紙1:29~31 『神は、神の御前でだれをも誇らせません。しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、あなたの贖いとになられました。まさしく「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。』
このようにBibleは、人間に完全完璧な人などおらず、皆が過ちを犯す短所を持っているので、他人と比較して勝ち誇らないようにと、忠告します。
また、勝ち誇るのなら、決して自慢し過ぎずに、あなたの神とその恵みを証しして誇るように、教え説くのです。主イエスの恵みを証しする者は、報われるからです。
あなたに与えられる、主イエスの証しと神の栄光に期待します。
AMEN