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第ニコリントの手紙7:8~16 (2014年9月6日(土))

Jesus said

『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』

『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』 ディボーション聖句 第ニコリントの手紙7:8~16 8 あの手紙によってあなたがたを悲しませたけれども、私はそれを悔いていません。あの手紙がしばらくの間であったにしろあなたがたを悲しませたのを見て、悔いたけれども、

9 今は喜んでいます。あなたがたが悲しんだからではなく、あなたがたが悲しんで悔い改めたからです。あなたがたは神のみこころに添って悲しんだので、私たちのために何の害も受けなかったのです。

10 神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。

11 ご覧なさい。神のみこころに添ったその悲しみが、あなたがたのうちに、どれほどの熱心を起こさせたことでしょう。また、弁明、憤り、恐れ、慕う心、熱意を起こさせ、処罰を断行させたことでしょう。あの問題について、あなたがたは、自分たちがすべての点で潔白であることを証明したのです。

12 ですから、私はあなたがたに手紙を書きましたが、それは悪を行った人のためでもなく、その被害者のためでもなくて、私たちに対するあなたがたの熱心が、神の御前に明らかにされるためであったのです。

13 こういうわけですから、私たちは慰めを受けました。この慰めの上にテトスの喜びが加わって、私たちはなおいっそう喜びました。テトスの心が、あなたがたすべてによって安らぎを与えられたからです。

14 私はテトスに、あなたがたのことを少しばかり誇りましたが、そのことで恥をかかずに済みました。というのは、私たちがあなたがたに語ったことがすべて真実であったように、テトスに対して誇ったことも真実となったからです。

15 彼は、あなたがたがみなよく言うことを聞き、恐れおののいて、自分を迎えてくれたことを思い出して、あなたがたへの愛情をますます深めています。

16 私は、あなたがたに全幅の信頼を寄せることができるのを喜んでいます。

[聖句メッセージ]

本日で第二コリントの手紙7章は終わり。

8~10節 (8 あの手紙によってあなたがたを悲しませたけれども、私はそれを悔いていません。あの手紙がしばらくの間であったにしろあなたがたを悲しませたのを見て、悔いたけれども、9 今は喜んでいます。あなたがたが悲しんだからではなく、あなたがたが悲しんで悔い改めたからです。あなたがたは神のみこころに添って悲しんだので、私たちのために何の害も受けなかったのです。10 神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。)

  • マタイ福音書11:20 『主イエスは、数々の力あるわざの行われた町々の人々が悔い改めなかったので、責め始められた。』

  • マルコ福音書7:6~9 【イエスは彼らに言われた。「イザヤはあなたがた偽善者について預言をして、こう書いているが、まさにそのとおりです。『この民は、口先ではわたし(主)を敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを、御ことばのように教えるだけだから。』あなたがたは、神の御ことばの戒めを捨てて、人間の言い伝えを堅く守っている。」また言われた。「あなたがたは、自分たちの言い伝えを守るために、よくも神の御ことばの戒めをないがしろにしたものです。」】

 主イエスの愛と御ことばに信頼し切っていた使徒パウロは、神の御ことばの戒めよりも、社会常識や人の顔色ばかり気にして生きている、聖霊力の乏しいコリント教会の人々に対して、すぐに十字架にすがってライフスタイルを悔い改めるようにと、叱咤激励しました。

 主イエスは、父なる神と隣人を愛する行為とは、時には情熱的に相手を思いやり、御ことばを守るように叱咤激励して、悔い改めを促す勇気を持つことだと、教えたのです。

 大切な家族と友人たちが 御ことばに反し続けて、人生でひどい倒れ方をしないように、本気で祈り備えることです。

 主イエスの生き様と御ことばから、真の愛と友情を学び取って下さい。なぜなら、主イエスの生き様が愛そのものだからです。

11~12節 (11 ご覧なさい。神のみこころに添ったその悲しみが、あなたがたのうちに、どれほどの熱心を起こさせたことでしょう。また、弁明、憤り、恐れ、慕う心、熱意を起こさせ、処罰を断行させたことでしょう。あの問題について、あなたがたは、自分たちがすべての点で潔白であることを証明したのです。12 ですから、私はあなたがたに手紙を書きましたが、それは悪を行った人のためでもなく、その被害者のためでもなくて、私たちに対するあなたがたの熱心が、神の御前に明らかにされるためであったのです。)

 このように、コリント教会の多くのJesusFamilyたちは、使徒パウロの語る御ことばを素直に受け入れて、自らの過ちを熱心に悔い改め出しました。

 あなたが本気になれば、必ず多くの人は救われます。

 また、今日という日がある限り、悔い改めに手遅れはないのです。御ことばの悲しい預言を刈り取る前に、日々の御ことばから、出来る限り祈り、悔い改め続けることです。あなたに出来なくとも、あなたのHolySpiritにそれが出来るからです。

13節 (13 こういうわけですから、私たちは慰めを受けました。この慰めの上にテトスの喜びが加わって、私たちはなおいっそう喜びました。テトスの心が、あなたがたすべてによって安らぎを与えられたからです。)

  • マタイ福音書5:4 主イエスは言った『悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。』

 このようにBibleは、悲しんでいる人は幸いだと説きます。なぜなら、慈愛に満ちた主イエスは、人生で悲しみ、打ちひしがれた人々を慰めに来たからです。

 悲しみは、主イエスを知るチャンスだと言うことです。

 悲しみの中で待っている 主イエスの慰めの御業に期待することです。

14節 (14 私はテトスに、あなたがたのことを少しばかり誇りましたが、そのことで恥をかかずに済みました。というのは、私たちがあなたがたに語ったことがすべて真実であったように、テトスに対して誇ったことも真実となったからです。)

  • マタイ福音書5:7 主イエスは言った『あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。』

 使徒パウロは、御ことばに対して無知であり、行いのないJesus信仰だったためにトラブル続きであったコリント教会の仲間たちの可能性を見抜いて 哀れみ、ただ、ひたすら忍耐して信頼し続けました。

 これも愛の形です。

 使徒パウロは、問題だらけのコリント教会の仲間たちが、必ず、素晴らしいクリスチャンに変えられると、信仰の弟・テトスによく話して祈っていたのです。

 そして、その信じた通りになったのです。

 これが信仰の形です。

15~16節 (15 彼は、あなたがたがみなよく言うことを聞き、恐れおののいて、自分を迎えてくれたことを思い出して、あなたがたへの愛情をますます深めています。16 私は、あなたがたに全幅の信頼を寄せることができるのを喜んでいます。)

  • マタイ福音書22:39 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』

  • ヨハネの黙示録22:7 主は約束した『見よ。わたしはすぐに来る。この聖書の預言の御ことばを堅く守る者は、幸いである。』

  • 第1テサロニケの手紙5:20 『預言をないがしろにしてはいけません。』

  • マタイ福音書8:13 『それから、イエスは言われた。「あなたの信じたとおりになるように。」すると、ちょうどその時、そのしもべはいやされた。』

 このようにBibleは、神に選ばれしあなたが、周囲の人々の気持ちを自分のように大切に理解してあげて、御ことばの預言とインスピレーションを信じ切って祈り続けられるのならば、周囲の人々は必ず主イエスの愛の御業で救われると、預言します。

 使徒パウロはただ、それを実践しただけなのです。

 あなたに表れる パウロのような情熱的な隣人愛と、主イエスのような愛の奇跡に期待します。

 AMEN

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